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——「プロになろうと思ったきっかけ」を教えてください。
- 「私は普通に一度就活をしましたね。音大とか行ってたら違ってたんでしょうけど、普通に文学部だったので。でも大学のときに真剣に音楽をやることで、1年2年では見えなかったことが3年目4年目になったらぐんぐん見えるようになってきて、そしたらまた見えない深い部分がどんどん出てきて。そういうのに気づいたときに、今辞めたらもったいない気がしたんですね」
- 「でも就職活動まではされてたんですよね?」
- 「そうなんです。でも受けるのはやっぱり楽器屋さんとかで。そこで『どうして楽器屋とかばっかり受けちゃうんだろ?』って考えたときに、別に楽器が売りたいわけじゃなくて、やっぱり自分で演奏する側になりたいんだっていうのが分かったので、それだったら大学出てからも音楽をやろうと思ったんですね。まあどこに行っても異端児扱いされるんですけどね(笑)」
- 「そりゃ阪大ですもん。なんでって思っちゃいますよ(笑)」
- 「私は子供の頃から『ピアノで食っていきたい!』的なことをずっと思っていて、卒業文集の将来の夢を書くところにもピアニストって書いてましたね。ジャズとか全然知らない頃ですけど。で、そのまま大きくなって、音大に行くことになるわけですけども、まあ音大に行くからにはプロになろうと。普通に就職するなら普通の大学の方がいいわけですし、音大は学費も結構高いので(笑)。親に言われたわけじゃないけど、どうせ行くなら、と」
- 「私は中学校でやってたビッグバンドのコンサートが年に一回あって、そのときにゲストで今の私の師匠が来てくれてたんです。コンサートの他に、何日間か滞在してクリニックみたいなことをしてもらうんですけど、それがもう本当に楽しくて。だからもう師匠に対して憧れを持っちゃって、『私もこんな人になりたい!』と(笑)。でもやっぱりなれないという諦めの気持ちもずっとあって、高校は商業高校に行ったんですよ。でもやっぱり捨てきれなくて、やっぱりサックス吹きたいと思ってて。当時から師匠は大阪音楽大学で教鞭を取ってたので、行くならそこだろうなあとか思いつつ、でもやっぱり学費は高いよなあ、と(笑)」
- 「横山さん、北海道だしね」
- 「そうなんですよ。だから親に相談したら、『お金は出してあげるけど、その代わり教師とかになったら許さん』とか言われて(笑)。矢藤さん家とは違って(笑)、うちは結構厳しく言われましたね。なので、これはプロになるしかない!という覚悟を持って大阪に出てきたんで、なれて良かったなあと思います(笑)。初めて大阪に来たときは、みんな明石家さんまみたいに喋るんだ!と衝撃的でしたね(笑)」
- 「(笑)」
——「学生時代にやってて良かった!やれば良かった!」と思うことは?
- 「いっぱいありますけどね…英語やっとけば良かったとか」
- 「高校、英語科やったやんか(笑)」
- 「一応ね(笑)。でも全然喋れないんで、今すぐニューヨークに!というわけではないんですけど、行ってみたい気持ちもあるし、そのために英語やっとけば良かったなあと思いますね」
- 「それはすごく分かります。特にボーカルを目指している子は絶対英語が必要になるので、絶対にやった方がいいですよ。私は今も発音矯正学校みたいなところに通ってるんですけど、音楽やるのと同じぐらい英語は大事です。特にジャズの場合は子音をどうリズムに乗せるかで歌が変わってくるので本当に大事です。私ももっと前からちゃんとやっておけば良かったなあと思いますね。楽器の人がスケールをやっているみたいに、ボーカルにとって発音というのは基礎であり基本だと思うので」
- 「私は、やってて良かったと思うことなんですけど、学生のときから矢藤さんや同期の子たちと週に一回、6時間ぐらいぶっ続けでセッションやってたことが大きいですね。それがなかったら、今やってなかったんじゃないかと思うぐらい大きいですね」
- 「それはあるよね。セッションがあるから今があると言っても過言じゃないくらい。授業よりもセッションで勉強することの方が多かったですもん」
- 「私は大学には行っていないので、そういう話を聞くとすごく憧れるんですよ~!関西は特に大学の繋がりが大きいので、いつも見ていて羨ましい!と思いますね」
- 「ですよね。私は学生時代にはセッションという存在すらも知らなかったので、今になって聞くと学生時代からそういう環境があるというのはいいなと思いますね。でも、私も学生時代にカウント・ベイシーの音楽と真剣に向き合えたことは自分のルーツにもなっていて、それはとても良い経験になったと思います。すごくシンプルに、人をハッピーにさせる音楽の大事さを学んだ気がします」
- 「ビッグバンドも楽しそうですよね」
- 「学生時代のビッグバンドは、ずっと一緒にいるので仲間割れもしますし、いろいろありましたよ。でも山野はすごく楽しくて、あの15分間はすごく気持ちよかったですね。それ以外は苦しかったですけど(笑)。ずっと山野の上位入賞校という伝統があったので、それは崩しちゃいけないという気負いもありましたしね。私が入った年は、それまで男性ばっかりのバンドが半分以上女性になって、経験者も少ない年だったんですね。でも女の子が増えたから賞が取れなかったと言われるのは絶対に嫌なので、すごく頑張った経験が今になって活きてると思います」
——学生プレイヤーの皆さんへ一言!
- 「続けることは難しいことですけど、やっぱりとても大事なこと。私もまだプロになって数年ですけど、続けることの大変さを感じながらも、やっぱり続けることが大切だなと思います」
- 「私も何回も辞めようと思ったことがあって、たぶんこれからも思うんでしょうけど、その度にやっぱり音楽が好きだなあと思って、ずっと続けていくんだと思います。もう音楽がアイデンティティになっているから、ここで辞めるとアイデンティティがなくなってしまう、と思うとまた頑張ろうって思えるんですよね。あとはそのときにしかできないことってあると思うので、一生懸命頑張って欲しいと思いますね」
- 「そうですよね。私も常に上を目指していきたいと思いつつ、まあすぐダラダラしちゃう癖があるんですけど(笑)。でも、木原さんや大竹さんが言うように続けないとそこで終わっちゃうので、続けるためにも楽しんで音楽がやれるように頑張ってほしいなと思います。楽しいことばっかりじゃないけど、私も練習は全然好きじゃないんですけど、楽しいライブを続けていくためには基礎練も大事やなと最近は思ってます(笑)」
- 「うんうん。続けることと、あと仲間はたくさん作ったほうがいいですよ。ジャズは仲間がいないとできない音楽、人と合わせてなんぼ、会話してなんぼの音楽ですからね。仲間をたくさん作って、相乗効果でみんなで高めあっていけるような、それがいいんじゃないかと思いますね」
(Fine)