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山口ミルコのジャズひと観察
第8回

今年もヤマノが終わって、夏が終わった。
43回を迎えた今大会の開催を待たずに亡くなった、山野政光(元山野楽器社長)氏の訃報をきいた。
私自身、第15回から18回までプレイヤーとして出場し、大学卒業後も度々会場に足を運び、ここ数年、原稿を書かせていただくようになってからは、まる二日間貼り付きで毎年観ている、熱心なファンだ。
今年の審査発表の場で、瀬川昌久審査委員長の呼びかけにより、会場全員で政光元社長に黙祷を捧げた。
その一分間に、さまざまな思いが込み上げた。
自分にとって大切な人は、ビッグバンドをやっていたから出会えた人ばかりといっていい。
大学入学とともにジャズ研に入り、無我夢中で過ごしたビッグバンドだらけの四年間を、支えてくれたのは家族や友人だけでなかった。
山野元社長のような立派な志しをもつ大人のひとの、誠実な仕事と努力の継続なしにはあり得なかった時間だ。
父・政光氏の遺志を継ぎ、「今後もコンテストを続けます」という正面見据えた山野政彦現社長のメッセージに、涙が込み上げた。
人の存在は居なくなって初めてわかるというが、会場に政光社長がおられるのが当たり前、がずっと続くわけなどなかったのだ。
生には限りがある。
同じように、あらゆるものに、制限がある。
今年のヤマノを通して見て考えさせられたのが、まさにその「限り」というものだった。
ひとバンドに与えられた制限時間は15分。
その15分間に、何をどう描くのか?
演奏者はストップウォッチで曲の長さを計り、調整するだろう。
しかし、時の感覚はカウントできるものではないという気がする。
政光元社長に黙祷を捧げた一分間を、思い出してみよう。
あの15倍のボリュウムの、時間というべきか空間というべきか、表現の場が与えられているということになる。
その「表現の場」に何をしたいのか?明確な意図が感じられるバンド、時間の感覚というものに繊細なバンドが、登場すると嬉しい。ついでに言うと、めっきり減ったMCが復活すると嬉しい。
お客さんにとっては、15分の短編を35本観るようなもの。
さらに「限り」が胸に迫るのは、高校野球も吹奏楽コンクールもだが、こうした学校ものでは、そのメンバーがその年限りであることだ。
どのバンドを観ても、各大学の色、伝統が代々引き継がれているのはわかる。
けれども、目の前の、このひとたちが揃うのは、いまこの瞬間限りだと思うと、じつに切ない。
限りある15分という時間を、その時限りのメンバーで。だが表現の可能性はいつだって無限大、生きて世界を描こうとするならば、その中でいくらだってできる。

山野ビッグ・バンド・ジャズ・コンテスト

「音楽普及による社会貢献」を企業理念として掲げる山野楽器が主催する大学生ビッグバンドによるコンテスト。現在のジャズシーンで活躍する数多くのプロミュージシャンを輩出している。激しい予選を勝ち抜いた大学35バンドが、大宮ソニックシティの舞台で2日間に渡り、鍛え抜いた技をビッグ・バンドに懸ける情熱とともに披露します。

公式ウェブサイト

山口ミルコ

プロデューサー、編集者として出版社で20年、現在はフリー。文筆を主に芸能・文芸メディアのさまざまな企画にかかわっている。近況は、ミシマ社の「ミシマガ」連載エッセイ「ミルコの六本木日記」に。
最近の著書:『毛のない生活』山口ミルコ著(ミシマ社)