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山口ミルコのジャズひと観察
第4回

去年に続き、ヤマノを二日間通して見た。
ヤマノは今年もよかったのだが、残念なことに自分の運気が下がっていた。
たとえば、二日間ほとんどずっと席にいたというのに、最優秀ソリスト賞受賞の安藤康平さん(愛知大学As)の時だけ、聞いていなかった。
今回、ザ・サックス編集部のハッタさんから「サックス目線の、ヤマノの感想文を、」という原稿の注文をいただいていた。
ソロの最高峰がサックス奏者だったというのに、肝心なものを見落としている。
しかも、席を外した理由がお粗末だ。
会場向かいのドトールにお昼を買いに行っていたのである。
目当てのミラノサンドBが売り切れだったことも付け加えておく。
ミラノサンドBがないのに、「じゃあいいです」と言えず、朝スターバックスでソイラテを飲んだのにドトールでも豆乳ラテを買い、それをロビーで地味にすすっているあいだに、最高峰に選ばれる演奏がなされたのである。

「ヤマハの新しいソプラノ、82Zが展示されてると思うんで見てきてくださいね」とこれまたハッタさんに言われていたのに、私がヤマハのブースを横目で見るたびに、コーナーははつ剌とした若者であふれかえり、動きのにぶい中年の私は食い込むことができなかった。
あ、いますいてる!と思ってブースに接近したときにはもう、スタッフさんが撤収中だった。すいてるはずである。
早く片付けたがっているヤマハのムクノさんをつかまえて世間話をするに終わった。
その間に、毎年楽しみなブルーコーツの演奏の何曲かを、聞きのがした。
やはり運気が落ちている。

安藤康平さんの演奏は見れなかったが、心に残ったプレイヤーがいる。
ザ・サックスにも書いたが、まず、法政大学のアルト鳥羽涼太さん。
彼が「Miss Ella」で出した最後の音は、彼の努力をずっと見ていた音楽の神様が、彼に乗った瞬間のものだったと思う。
それから、 立命館の大竹洋志さん、明治ビッグ・サウンズの桂尚文さん、慶応ライトの田尻智大さんと村上裕太さん、いずれもテナー。この辺りの方々にはまたお目にかかることになるだろう。
日大リズム・ソサエティのアルト渡辺翔太さんにはフリューゲルの滝沢望さんともに美しいソロを聞かせてもらった。そして、名古屋芸術大学の服部莉佳さん、もっと年をとった彼女の演奏を、いつか聴いてみたい。
そのほか、上智のピアノ朝倉確さんや日大リズムのパーカッション濱田彩織さん、国立のリードトラッペッター高荒海さん、立命館のトロンボーン堤健太郎さん、ハイソのトロン ボーンセクション、天理ALSのベース坂井美保さんなど、今後も楽しみなプレイヤーは枚挙にいとまがなく、すべてのバンドの熱演に、全力で本番にのぞむみなさんに、元気をもらった。

ヤマノを愛する大人たちにも救われた。

一つはEMバンドの素晴らしかったこと。
なかでも 近藤和彦さんのソロ、多分、あの場でいきなりの指名だったと思う。
あそこで近藤さんが見せた瞬発力、エリックの祈りを引き継ぐようなパワープレイに、リーダーとスタープレイヤーの信頼関係をみた。
EM バンドでは、国府弘子さんの飛び入りも聞けた。これもいきなりの指名。
エリックは粋なことをする。長年、表から裏からヤマノを支えてきた 彼女の内面が伝わってくるセッションだった。

二つめ、山野社長のあいさつ。
学生さん、お客さん全員に向けて、「どうか、さいごまで無事で」と。
あのとき、あの場につどったみんなが、厳粛な気持ちになったと思う。
無事の尊さを思い知らされた今年、ヤマノの、夏。

三つめ、審査委員長の瀬川昌久先生の話。
「ジャズをやるみなさんには、品格をもっていただきたい」
とおっしゃったこと。
あれは、心底からの、先生の願いであったと思う。どうしても譲れない、言わなければ気が済まなかった、願い。
あの発言をしたときの瀬川先生の表情とぴんとした姿勢は、閉会後に、しみじみと胸に迫り私の中で反芻されている。

山野ビッグ・バンド・ジャズ・コンテスト

「音楽普及による社会貢献」を企業理念として掲げる山野楽器が主催する大学生ビッグバンドによるコンテスト。現在のジャズシーンで活躍する数多くのプロミュージシャンを輩出している。激しい予選を勝ち抜いた大学35バンドが、大宮ソニックシティの舞台で2日間に渡り、鍛え抜いた技をビッグ・バンドに懸ける情熱とともに披露します。

山野ビッグ・バンド・ジャズ・コンテスト オフィシャルサイト
山口ミルコ プロフィール
プロデューサー、編集者として出版社で20年、現在はフリー。文筆を主に芸能・文芸メディアのさまざまな企画にかかわっている。近況は、ミシマ社の「ミシマガ」連載エッセイ「ミルコの六本木日記」に。