



何年ぶりだろう、吉岡秀隆くんにバッタリ会った。
「博士の愛した数式」の完成披露会以来だった。
後日すぐに彼から試写状が届き、私はみなさんよりやや先行して「ALWAYS三丁目の夕日'64」を観ることとなった。
自信作だと、控えめで仕事の話をしない彼が言っていただけの事がほんとにあった。
シリーズ三作め、前の二作も大ヒットだったというが、この映画を体験できたことに感謝する。
三丁目の優しき人びとの、息の匂い、肌の温もり、乾燥ぐあい、すべてじかに伝わってくる。
そして、たくさん泣いて笑って見終わって、
「日本人ていいな」
おそらく、あの試写室にいた全員が等しく思った。
前田憲男スペシャルビッグバンドwith日野皓正JAZZ SUMMIT 2011 in 調布 をみにいったのはそれからまもなくのことだった。
調布市グリーンホール。
私がここを好きなのは、レストラン・スリジェがあるからだ。
オムレツの美味しいことといったら。紅茶一杯飲んでも、ほかの店とは違う。
前田さんのバンドをみにいったこの日も、ホールのロビーで売られていた焼き菓子にほっぺたが落ちた。日頃、白砂糖を自らに禁じている私がおかわりしたのだからよっぽどである。
ジャズにはジャズの、フランス料理にはフランス料理の、流儀がある。
本場でそれを身につけ、腕を磨き、そこに日本人の自分自身としてのアイデンティティを持ち込むとどうなるか。
虎のバターにまみれるように外国カルチュアにグルグル巻かれながら芸を究めたうえに日本人を取り戻したミュージシャンの凄さよ。それをこの日まのあたりにする。レストラン・スリジェのあるホールで。
このライブの前に私が前田さんをみたのは「ジャズ幽霊さん」というお芝居だった。
前田さんはジャズピアノを弾く幽霊の役で、私のようにかつて山野ビッグバンドジャズコンテストで審査員・前田憲男氏の高評を賜っている者としては、その物腰の柔らかさにやや拍子抜けした。しかしグリーンホールで聴かせてくれた前田氏オリジナル「サンバップ」には前田憲男ここにあり、その鮮やかさに胸がすいた。
私は多くの日本のプロのビッグバンドを聴いているけれど、前田憲男ビッグバンドは、どのバンドより、懐かしい音がした。いうなれば、日本人のサウンドだ。
これは貴重なことだとおもう。
選曲のせいでなく、年齢のせいでなく、これこそ虎バター込みの日本の大音楽家・前田憲男なのだと思った。
後半ゲストで登場した日野さんはサムライ。ジャケットを翻しラッパを構えるところなんぞ武士の所作の美しさそのもの。刹那な音も姿も、日野皓正。
やっぱりお米が食べたい。
日本人のつくるお米が。



![前田憲男[ピアニスト]](images_vol5/name01.png)
1934年大阪生まれ。独学でピアノを習得し、高校卒業と共にプロ入りし、1955年上京。1957年から、名門「ウエストライナーズ」に在籍。そのピアニストとしての実力を高く評価されると共に、アレンジャーとしても頭角を現しステージ、テレビなど幅広い分野で活動を始める。1980年に日本最高のジャズプレイヤーを集めた「ウインドブレイカーズ」を結成し現在も活動中。あわせて、自己のトリオやスペシャルビッグバンド、及び、全国主要オーケストラのポップスコンサートの客演指揮など、多彩な演奏活動を展開。また、山野ビッグ・バンド・ジャズ・コンテストに審査員として携わっている。レコード大賞「最優秀編曲賞」やジャズ界の最高位に価する 「南里文雄賞」など各賞を受賞。プレイはもとより作・編曲家としても日本を代表する一人であり、 その音楽性は高く評価されている。

前田憲男(p)、市原 泰(ds)、斉藤 誠(b)
数原 晋、奥村 晶、鈴木正則、ニール・ストール・ネーカ(tp)
フレッド・シモンズ、佐藤洋樹、高橋朋史、会田芳之(tb)
平原まこと、近藤 淳、つづらのあつし、今尾敏路、原田忠幸(sax)
Featuring 日野皓正(tp)

2月出版決定!:『毛のない生活』山口ミルコ著(ミシマ社)
