ジャズスポットJ。この店に関するエピソードはジャズファンにとって馴染み深い。
店主の学友タモリや故・赤塚不二夫、田村セツコら多くの著名人が常連客。また、渡辺貞夫、鈴木良雄、増尾好秋、水森亜土、小野リサ、平賀マリカ、寺井尚子、寺久保エレナなど、この店にゆかりのあるジャズミュージシャンは数知れない。
「赤塚さんの存在なくして、私は今日まで生き延びてはこられなかった」とマスターの幸田 稔さん。
1978年、行きつけのジャズクラブのマスターが亡くなり、当時サラリーマンで「お酒の種類も接客のしかたも知らないド素人」だった幸田さんが急きょ店を引き継ぐことに。早稲田大学ジャズ研OBの仲間25人が資金を出し合い“ジャズスポットJ”としてスタート。だが原因不明の出火で店は全焼。わずか一年半で全てを失った。
そのとき幸田さんに力を貸してくれたのが、タモリの紹介で常連客となっていた赤塚不二夫さん。
「『みんなの気持ちではじめた店。絶対やめるな』と、それほど親しい間柄でもなかったのに、再建委員長までかってでてくださった。赤塚さんといえば破天荒ぶりが言われるけど、困っている人をみると放っておけないやさしさを持った方。全く恩返しもできなかったけど、その人柄や生き方に学ぶところはほんとうに多かった」。
赤塚さんの呼びかけでたくさんのカンパが集まり、2ヶ月後に店は再建。今日に至っている。
幸田さんはもともと早稲田ジャズ研出身でミュージシャン志望だった。
「ジャズミュージシャンで食べていくのは大変。続けている人ってエライなあ、って思います。よく他のライブハウスでは、出演するミュージシャンを選ぶ基準が厳しかったりするけど“J”は友人のたまり場として出発しているから、そこは違うスタンス。来るもの拒まず、で、ちょっと優柔不断かもしれません。『憧れの店でした』なんて言われると、演奏を聴いたことのない人でもつい出演させちゃう。それで何度も失敗しているの(笑)」。
出演者に課されるノルマはないので、お客さんが3〜4人しか入らないこともあるそうだ。
「ミュージシャンに重いものを背負わせるのが気の毒で。やさしいことばかり言っていると店が潰れてしまいそうだけど、なんとかやってこられたのは奇跡かな。運がよかった」と幸田さん。