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「本気のぶつかり合い」から生まれる、一期一会のセッション

国内はもちろん、海外の様々なジャンルのミュージシャンとセッションを重ね、数々の名演を残されてきたパーカッショニストのヤヒロトモヒロさん。今回は9月から既に始まっている、「ガイアクアトロ」での演奏活動、さらにヤヒロさんの音楽のルーツに迫るインタビューとなりました。
インタビュー・文 小島良太(ジャズライター、ジャズフリーペーパーVOYAGE編集長)
ライブ写真撮影 竹下智也

person

ヤヒロトモヒロ
パーカッショニスト
少年時代の10年間をアフリカ大陸北西に位置するカナリア諸島、ラス・パルマス・ デ・ グラン カナリアで育ち、そこでドラムパ-カッションを始めた異色の打楽器奏者。帰国後1980年プロ・デビュー。 以来、山下洋輔、向井滋春、渡辺香津美、板橋文夫、梅津和時ら、多くのジャズ界を代表するミュ-ジシャンとの共演の他、伝説のアフロファンクバンド「じゃがたら」や「エスケン&ホットボンボンズ」のレギュラ-サポ-トを務める。
また、久石譲、小野リサ、さだまさし、加藤登紀子、等のコンサートやツアーに参加。2007年、「武満徹トリビュートコンサート」で、coba、渡辺香津美、鈴木大介とともにワシントンDCのジョン・F・ケネディ・センター、2010年、同メンバーで小澤征爾氏総監督のサイトウキネンフェスティバル松本(2012年ドス・オリエンタレスで出演し3年連続となる)やニューヨーク カーネギー・ホールに招かれる。
2012年ウーゴ・ファトルーソとの1作目CD「DOS ORIENTALES」は、ラテン版グラミー賞ラテンジャズ部門6位、南米のグラフィティ賞ジャズ部門1位を受賞する。2014年2作目「Orienta」もグラフィティ賞ジャズ部門1位を獲得。インターナショナルな感性と確かな音楽性で、ジャズ、南米音楽、ロック等、ジャンルの枠を超えた幅広いフィ-ルドで活動している。
同時に、ジョアン・ドナート、トニ-ニョ・オルタ、ジョイス、フロレンシア・ルイス等の海外ア-ティストとの交流も深く、ウーゴ・ファトルーソをはじめ毎年海外のアーティストを招き日本ツアーを展開している。2015年ドス・オリエンタレスの活動が評価されて在外公館長表彰を受ける。2017年よりグラミー賞受賞者Pablo Ziegler公演やツアーに参加している。

interview

カナリア諸島での音楽体験

── 音楽を始めたキッカケは?

ヤヒロ「小学校3年に親の仕事で海外に行きました。子供の時はピアノをやらされて。よくあるお稽古事。本当にイヤでイヤで(笑)。」

── ご両親は何か音楽をされていたのですか?

ヤヒロ「いや、全然。だから私へ習わせたのは本当に子供の習い事の感覚。 スペインだからギターを、ということで兄弟と一緒にやらされていたけど、全然それも興味なくて。今思い出すと音楽よりも外に出て遊ぶ方が好きだったな。でも聴くのはとても好きで、二つ年上の兄が中学生のときにバンド活動を始めることになって、そのときに太鼓がいないから、お前、叩けと(笑)。その時が小学校4~5年くらいかな。そこで興味を持つようになって1年間毎日皿洗い券を作って親に頼み込んで太鼓買ってもらって。でも、それ(皿洗い)も3日で終わるんだけどね(笑)。ちなみにカナリアで兄と結成したアマチュアバンドのメンバーはみんな4人ともプロになっているし、今でも交流が続いています。
あと僕が子供の頃、70年代当時はやっぱりロックが人気でした。でも当時のスペインはフランコ政権の独裁時だったから、ビートルズの「リボルバー」がタイトル名で入ってこない時代だった。とは言っても、サンタナやレッド・ツェッペリンやキング・クリムゾンの新譜が発売されたら、いつも楽しみにしていました。 カナリア諸島は観光地だから、北欧やドイツ、ヒッピーの人達が多く訪れていて、街には自然に世界の色々な音楽が入ってきたんだよね。アフリカ大陸も近いから交流があって、アフリカフェアとかでアフリカの打楽器に触れる機会もあったしね。 ホテルもたくさんあって、そこのハウスミュージシャンには南米の人が多くて、そこでまた交流も持てたんです。当時も世界中に南米のミュージシャンが飛び回っていた時代だね。例えば、ジョージ・ベンソンのバンドで活躍したアルゼンチン出身ではホルへ・ダルト、ブラジル人パーカッショニストのアイアート・モレイラ、先日ツアーを回ったウーゴ・ファルトーソも同じくウルグアイから90年代前半にアメリカへ移りました。当時はまだフュージョンという言葉もなく、クロスオーバーと言っていたなぁ。 」

衝撃だったキング・クリムゾン

── 特に影響を受けたミュージシャンはいらっしゃいますか?

ヤヒロ「キング・クリムゾンやイエスなどで活躍したドラマーのビル・ブルーフォードがすごく好きですね。僕の演奏スタイルとは全然違うけど(笑)。1972年のクリムゾンのアルバム「太陽と戦慄」は衝撃だったなぁ。ジェイミー・ミューアと共にね。ビルはドラムセットを形成するハイハット、べードラ、スネアの意味を一つ一つ理解し、アフリカの打楽器のルーツの事も考えながら演奏しているなぁと。教則ビデオでもさらりと言っているんだよね、そういう部分。ビルがジャズをやっている時もあんなにスウィングしていないのに格好良いよね(笑)。あと、やっぱりサンタナもよく聴いていた。スペインにいた時に「ビートクラブ」という30分くらいの番組の5分間ほどでのライブ映像やウッドストックのライブドキュメントも熱中して見たなぁ。面白かったのがウッドストックに出演していたジミヘン(ジミ・ヘンドリックス)のライブで思い切り叩きまくっているコンガの人がいるんだけど、その人すぐへこたれていて(笑)。で、サンタナのバンドの人は涼しい顔していて、あ、やっぱりこの人達すごいなあと子供心に感じて。そういえば地元の観光客向けのバンド練習を見た時にコンガの人がバンドリーダーに怒られているのを見たことがあって、あ、打楽器って、簡単そうに見えるけど大事な楽器だなという事をそこで何となく感じました。」

日本への帰国、プロ活動へ

── 日本での演奏活動はどのように始まったのでしょうか?

ヤヒロ「78年末に日本に帰ってきて大学に入って、留学生達との交流等楽しくやっていました。大学にブラジル音楽専門の変なクラブ(笑)があって、面白そうだな、と思って入って。そこで習っていたけど、昔習った事をしてみると、案外日本ではそれが知られていない演奏法だったの。あ、このぐらい俺知っているぞっていうのもあったね。でも日本でドラムとパーカションの違いがわかりましたけどね(笑)。向こう(カナリア諸島)で演奏を始めた時はドラムとパーッカションの違いはなかったから。ある物で叩きなさいと(笑)。80年台始めはまだまだ日本ではパーカッショニストが少なくて、いてもほとんどがラテン系で南米系の人も少なかったし、“なんちゃって”の人が多かった。だから僕なんかは新世代だったんだろうね。あと、青山にある「プラッサオンゼ」でウェイターのバイトをしながら、素晴らしい南米のミュージシャンの演奏を間近で聴けた。それに加えて大学の近くに小野リサさんのお父様がされてる「サッシペレレ」や「プラッサオンゼ」等でとてもお世話になりました。楽器が欲しくてもお金がないので楽器を皿洗いのバイトをして譲ってもらったり(笑)、ウェイターをしてプロの演奏を観たりして、アンコールでは一緒に参加したり。そうこうしながら、いつのまにかプロになっていた(笑)。」

ガイアクアトロは「本気のぶつかり合い」

── 演奏中に心がけている事はありますか。

ヤヒロ「音楽の種類にもよるけど、曲の中に溶け込む、という事だね。当たり前の事かもしれないけど。その中で自分の役割をしていくかだね。いきなり曲の完成度を高めるという事はしない。空気なんて読む、という事より、できる限りの表現をしていったほうが良いと思うし、合わせていくより、ぶつけあっていかないといけないと思う。どの曲でもっていうわけではないけど、どっか1箇所でもそういう事はしないと。打楽器は一番誰よりも前に出ることができるし、その逆もできるし。そこを楽しんだ方がいいと思うんだよね。本当のアンサンブルっていうのは、自分の内側から出した音、もっと不良っぽくしてもいいんじゃないかなと思う。」

── ガイアクアトロでの演奏、活動について教えてください

ヤヒロ「ガイアはリハーサルで本気でぶつけあう時が苦しい。一番嫌な時間なの(笑)。みんな上手そうだけど、下手で不器用な面もある。しかもみんなこだわりがあって。でも、それっていいバンドでしょ?みんなの個性をぶつけて、遠慮しないで思い切り演奏した所から、引き算する方が面白い物ができると思う。それがいい結果にもなるし、それが悪い結果になっても原因がわかるし。だいたい何回もリハーサルできる環境のミュージシャンは少ないと思うし、ステージで作り上げていくしかないよね。完璧にできあがったものをすぐ聴かせる事は難しいから、お客様には申し訳ないかもしれないけど(笑)、ステージで実験していく事も必要だと思うな。何が完成なの!?ていうか明確な答えってないしね。 アルバム1枚目はピアノのヘラルド(・ディ・ヒウスト)中心で勢いもあって作れた所はあった。2枚目もヘラルド中心になってきたけど、徐々に他のメンバー(ヴァイオリンの金子飛鳥、ベースのカルロス“エルテロ”ブスキーニ)のやりたい事も出てきた3枚目のアルバムに至るまでは色々な事件がありましたよ、それはまた改めて、いつか本にして発表しようかな(笑)。やめてやる!て所までいったメンバーもいたけど、だからこそ続いているのかもね。今は苦しみながらするって事を学習してきたけど(笑)。それとガイアは3週間以上ツアーをしないようにしてる。それ以上すると、それぞれが他のプロジェクトもあるし、ガイアに対する集中が途切れちゃうから。」

── 今回のツアーについてお聞かせください。

ヤヒロ「ガイアはずっとリーダーがいないバンドだったけど、日本での動き方、ライブ運営は俺がリードしていかなければと思っている。みんな勝手だけど、それでいいと思っている、それがバンドだからね。でもそれをコントロールする人がいないとなぁって。99年から活動して音楽的成長はもちろんあるけど、知名度がまだ思うように上がっていない理由も考えていかないといけない。すごく有名になりたいとか、そういうことじゃないんだけど。今年は過去のアルバム4枚が再発されたし、今回のライブツアーで今までのガイアの曲、まさにベストオブガイア的な選曲と新曲を演奏するので今までのファンの方はもちろん、初めて聴く方にも楽しんでもらえると信じています。」

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[ Live Information ]


日時:2018年10月5日(金) 18時30分開場 19時15分開演
料金:前売(1ドリンク付)・予約・当日いずれも6,000円 先着順自由席
会場:100BANホール 神戸市中央区江戸町100番地 高砂ビル2F
主催:ムジカ アルコ・イリス(安田)
前売・予約問い合わせ先 安田
TEL 080-3853-9363 E-mail my2933@i.softbaank.jp
前売・予約 100BANホール
TEL 078-331-1728(平日10時~16時) E-mail hall@100ban.jp

前売 CHOVE CHUVA(ショヴィ・シュヴァ)
TEL 06-6225-3003  大阪市西区京町堀1-13-2 藤原ビル2F

前売 成瀬珈琲豆店
TEL 078-413-0022 神戸市東灘区本庄町1-1-23 本庄ハイツ1F