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いつも軽快なピアノとトークで観客を魅了するジャズピアニストの小曽根実さん。伝説のTV番組「11PM」を筆頭に、TV開局時代から音楽を担当し、お茶の間を楽しませてくれるジャズ界のビッグ・ファーザー。世界を代表するジャズピアニスト、小曽根真さんを長男に持ち、現在はご自身もプレイヤーとして全国各地で開催されるコンサートツアーを中心に活動しながら、新しい才能の育成にも尽力されています。いつも私たちを楽しませてくれる小曽根さんのプレイの根底にあるのは、生まれ育った神戸でのジャズ体験。歴史ある神戸ジャズを実践し続ける小曽根さんにずばり聞いた「神戸ジャズとは?」。その歴史と小曽根さんの現在にいたるまでのお話をおうかがいしました。 |
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1934年神戸出身。小学生の頃より独学でピアノをはじめ、関西大学在学中に学生バンドに参加。TV開局と同時に番組を担当、各局の番組を受け持つ。よみうりテレビ「11PM」スタート時から9年間出演、その他TV、ラジオなど多方面で活躍。震災後は「神戸ジャズは健在なり」をテーマに全国各地でコンサートを開催。 |
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言わずもがな、神戸は日本ジャズ発祥の地。港町である神戸だから不思議ではないように思えますが、実は意外にも大きな歴史的事件が二つ関わっているそうです。小曽根さんが伝え聞いたというその神戸ジャズの誕生秘話はジャズファンなら知っておきたいところ。 |
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「この話はよくしてるんだけど、日本のジャズは本当なら横浜から始まる予定だったんですよ。大きな港町といえば横浜と神戸、当時、横浜にはアメリカ航路、神戸にはヨーロッパ航路が入っていたんです。ところが、関東大震災で横浜の町も大変なことになっちゃったから、ヨーロッパ航路もアメリカ航路も神戸が引き受けることになった。それでジャズも一緒にやってきたという訳。 |
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その頃のジャズは今で言う厳密な音楽ジャンルの『ジャズ』ではなく、外国から入ってきた舶来音楽全般を『ジャズ』と呼んでいたみたいですね。当時のジャズはダンスミュージックで、踊るための音楽だったんです。それは神戸でも大阪でも流行っていたんだけど、同じ頃に大正天皇が崩御された。そのとき神戸は一時ダンスミュージックを自粛したのに対して、大阪はやめなかった。『それは不謹慎だ』ということで大阪にはジャズ禁止令が出たんですね。結果的にダンスミュージックを続けたい人間は兵庫に流れてきたのが、神戸にジャズが定着した理由なんですよ」 |
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小曽根さんがピアノを始めたのは戦後まもなくの頃。ピアノを弾いてると怒られることもあったのだとか。18歳の頃、デキシーランド・ハートウォーマーズに在籍していた小曽根さん。さまざまなダンススポットで演奏をし、当時のジャズ体験から神戸のジャズのあり方を現在も実践されています。 |
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「僕は小学校の頃からピアノを始めたんだけど、その頃は楽譜なんてそんなにないからもちろんレコードを聴いて覚えて。戦争が終わったのは僕が8歳の頃だけど、10代の若いうちからいろんなところで演奏しましたよ。駐留軍のキャンプでのコンサートや外国人専門バー、キャバレー、ダンスクラブなど、演奏する場所はさまざま。古いミュージシャンはほとんどキャンプで腕を磨いたんじゃないですかね。あの頃、道はまだ舗装されてなくて、トラックでガタガタ揺られながらキャンプに行ったことを今でも思い出します。 |
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ピアノはプレイヤーのなかでも特に重宝されるんです(笑)。活気もあって、ジャズで踊れるお店もたくさんあった。あの頃は楽しかったですよ。真とも話してたんだけど、今のジャズはマニアックになりすぎてるんだね。もちろん、それはそれでいいんだけど、神戸のジャズってのはもっと原点。みんなが楽しく聴けるジャズ、踊れるジャズっていうのが神戸ジャズだと僕は思うんです。そういうのを続けていくべきだと思いますね。だから現在も僕は、お客さんに楽しんでもらえるように僕も楽しんで演奏することを一番に心がけています」 |
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TV開局時代から、さまざまなTV局で音楽を担当していた小曽根さん。現在もテレビやラジオでの活躍は続きます。なかでも、今でも語り継がれる1965年から1990年まで続いたよみうりテレビの番組「11PM」は小曽根さんを語る上でも大切な番組。小曽根さんは放送第2回から9年間出演されていました。 |
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「TV開局時代は音楽も効果音もすべて生ですからね。演技に合わせて3秒とか5秒の効果音を生でやるんですよ。あれは大変だったけど面白かった。よみうりテレビも開局当初から関わっていましたが、一時は家業の手伝いで僕はジャズの仕事を休んでて。そのとき全部で10幾本かのレギュラーを降りたので、結婚したてだったから奥さんはかなり心配してましたよ(笑)。 |
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それが落ち着いたときにちょうど『11PM』が始まったんです。第1回目の放送を家で観てて、『面白い番組が始まったなあ』と思っていたらタイミングよく『11PM』のディレクターから電話をもらって、『火曜、木曜は大阪だから遊びにおいでよ』となりまして。それで遊びに行ったら、その日にもう台本に『ハモンドオルガン、小曽根実』って名前が書いてあった(笑)。その日に弾いて帰りましたよ。それから火曜木曜とレギュラーで9年間、1年目はソロで、以降は小曽根実トリオってのを作ってやってました。ものすごく僕には有意義な仕事だったし、今でもお客さんには『11PM』に出てた小曽根実って言って貰えるのは嬉しいことです」 |
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これだけの活躍をされているのに、小曽根さんの演奏は何故か音盤化していません。現在入手できるのは、阪神大震災をきっかけに作られたという「Lazy
Dad(のんきな父さん)」を表題としたジャズ生活50年を記念したアルバムのみ。それ以前も「11PM」出演中にLPを一枚作っただけなんだそう。 |
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「現在はスクールとコンサートが中心。スクールは名古屋や岡山など全国からいろんな生徒さんが来てます。震災で自宅もライブハウスも教室も全壊しちゃったけど、教室は続けてますよ。ほかにも気になる若手の子たちはチェックするようにしています。面白い子たちは、いつの時代にもいるもんですね。コンサートは、呼んでくれるのがとても嬉しい。やっぱり『楽しかったわ』って帰ってもらえるのが一番だから、メジャーなものを中心にいろんな曲をやってます。 |
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来年の1月にはオリエンタル劇場でコンサートをします。古谷充さん、越智順子さんをゲストに、メインはクインテッドで。古谷さんとはずっと一緒だから本当に楽しくてやりやすい。家族ぐるみで演奏したりもしてますよ。やっぱり生演奏が一番楽しいし、自分が楽しいとお客さんにもそれが伝わる。これからもみんなに楽しんでもらえる神戸ジャズを全国のお客さんと一緒にやっていきたい」 |
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