そうそう、その頃にね、ニューオリンズからの流れと平行して、カンザスシティでも新しい音楽が生まれていたんです。これは、R&Bを取り込んだ形での新しいジャズ。ブルーズとジャズの歴史はかなり重なったり併走してるんですけどね、ニューオリンズスタイルとはまた違うスタイルが生まれていたんです。
まあカンタンに言うと、ニューオリンズスタイルは2ビート。カンザスシティのスタイルは4ビート。縦ノリでジャンプする感じの2ビートに比べ、4ビートは横ノリで、R&Bの影響もあって重い感じのスウィングといってもいいかなー。
でも当時は悪名高い(←呑み助の意見)禁酒法の時代ですよね?なんでまたカンザスシティでそんなにジャズが流行ったんでしょう?
まあこの人が大の酒好き。禁酒法の時代でありながら、それをまったく無視したんですね(笑)
オッケーじゃありませんよ(爆笑)!カンザスシティは、よく言えば自由都市、悪く言えば無法地帯になっちゃったわけです。で、ニューオリンズがそうだったように、歓楽街というか、人やお酒が集まるところでジャズが生まれ、育ったわけなんですねー。
そうそう。当時はまだまだ人種差別が根強くありました。レイ・チャールズの映画でも、せっかく演奏に来たのに正面玄関から入れないことに怒ってそのまま演奏をキャンセルしたり、一時はジョージア州から追放されたなんてこともありました。ジャズの話じゃないけどね。
そんな差別は、演奏する曲目にも影響があったんですよ。今でも名前が残ってるけどねー、出版社が集まったティン・パン・アレイという通りが出した、たくさんの楽譜。これはクラス別に分けられていて、A級の曲は、ベニー・グッドマンとかドリス・デイみたいに有名な人しか演奏できなかったなんてこともありました。はっきり言ってしょうもない曲が多いB級以下のクラスの曲じゃないとビリー・ホリデイとかは歌えなかったんですよ。まあ、それをなんとかおもしろくしようとした彼女の努力や工夫が、後のジャズ・ボーカルのスタイルになったんやから、これもずいぶん皮肉なハナシやねー。
まあ、そんなこんなでいろんなモンダイをはらみつつも、たーくさんのバンドがニューヨークに集結していたわけです。ところが、仕事がたくさんあっても、ダンスのBGM演奏だけではミュージシャン的には満足できないんですね、譜面があって、きっちりアレンジがしてあるような演奏では。仕事の演奏が終わった後で別の店に移動して、自分たちの楽しみのために自由に演奏するようになったのは前回の講義通り。きちんとアレンジされた譜面があるワケじゃないからそれぞれがアドリブで、同じ曲を朝までずっと演奏してるなんてコトもありました(笑)。おまけに朝には移動して、次の演奏場所に行かなきゃいけない。予定をスッポカしたり、汽車やバスに遅れる人もたくさんいたようです(笑)
ははは(笑)。かなりメチャクチャな時代だったんですね。前回の講義によると、そうこうしているうちに例の大恐慌が。
そうなんですねー。レコードが出せなくなっちゃった。ビッグバンドを維持することもできなくなって、転職するミュージシャンもたくさんいました。でもそこで思いついたのが仕事後の自由なセッション、これがニューヨークスタイルというか、モダンジャズの原型になっていったんです。『ビバップ』につながっていくんですねー。でも、レコードが出せない反面、ラジオの人気が出てきたんです。レコードを買って聴くにはオカネがかかるけど、機械さえあればラジオはタダですからね。
そうそう。お金持ちは(多くは白人ですが)ライブでジャズを聴き、大衆はその演奏を電波で聴くようになりました。そして、ラジオの影響でジャズはもっともポピュラーな音楽、最先端の人気音楽になるんですね。20年代から30年代、だんだん景気がよくなってきたときには、すでに人気を不動のものにしていたんです。ラジオによって、みんなが啓蒙されちゃったと言っていいかもしれませんね。
なるほどー、ラジオの影響で、たくさんの人がジャズを聴けるようになって、ジャズファンが定着したわけですね!ありがとうございました!