featuring Kobe Jazz People
Momoko Iijima / Jazz Vocalist

それぞれの才能をつなぎ音楽の明日をつくる

1970年代後半に発表された「北欧組曲」「海の誘い」という2枚のアルバムは、日本のビッグバンド史上に残る名盤として語り継がれてきました。今回アルバムの再発売とインナー・ギャラクシー・オーケストラ再結成にあたり、作・編曲家・リーダーの三木敏悟さんに、ご自身の音楽活動、そして現在の日本の音楽シーンについて思うところをうかがいました。

person

三木敏悟さん[コンポーザー&アレンジャー]

ウイーン市立コンサヴァトリム、バークリー音楽大学にて作曲・編曲、サキソフォンを学ぶ。高橋達也&東京ユニオン・オーケストラにサキソフォニスト兼アレンジャーとして入団。1977年「北欧組曲」、1978年「海の誘い」で2年連続ジャズディスク大賞を受賞。作・編曲家として映画、テレビドラマ等のテーマや主題歌を担当。またミュージカル、演劇など劇場音楽の制作・指揮・ディレクションも務める。ヤマノ・ビッグバンド・ジャズ・コンテストでは審査員を35年間務め、学生バンドや社会人バンド等との交流も深い。

interview

音楽にあふれた少年時代からプロの作・編曲家へ

物心ついた頃から、家のラジオから音楽が流れ、父は浪曲、母はタンゴファンという環境で育ちました。洋楽の影響はテレビの時代になってから。ミッチ・ミラー、リカルド・サントス、アルフレッド・ハウゼ、ベルト・ケンプフェルト、そしてビートルズ。その後ロックに傾倒しなかったのは、ストリングスが好きだったからかもしれません。18歳でジャズと出会い、クインシー・ジョーンズ編曲の『エクソダス』のカッコよさ、ズート・シムズのテナー・サックスにシビレましたね。
大学でサックスを始め、プレイヤーになるためにヨーロッパへ渡りました。しかし、そこには凄いプレイヤーが大勢いる。彼らは幼い頃からクラシック音楽を耳にして育ち、僕がどんなに練習したところで追いつけない。悩んだ末、「音楽をつくる」側へ行こうと決意し、バークリーで作曲・編曲を学び直す道を選びました。
当時、裏方でしかなかった作・編曲の世界は、クインシー・ジョーンズ、デイブ・グルーシン、ボブ・ジェームスらの登場によって、表舞台に出始めていた。日本に帰ってきた時には、ちょうど彼らのような音が求められていた時期でした。入団した東京ユニオンの高橋(達也)さんからこういった最先端の音楽について尋ねられたり、音源を渡され、こんな感じに書いてくれと頼まれたり。日本で「独自の音楽」をつくろうと張り切って帰って来た僕には、みんながアメリカのまねばかりする様に思え、内心ガッカリしていました。
ある日、ベテラン作曲家に混じって、僕のオリジナルが1曲演奏される機会を得ました。それを聴いていたTBMのプロデューサー・藤井武さんに呼ばれ、組曲の構想を話すと、「全部書きなさい。レコードにするから」と言われ、誕生したのが「北欧組曲」です。
当時は全く無名の新人。ジャズのレコード・セールスなど、1000枚にも満たない時代です。しかもその頃のLP価格が1500円だったことに対し、なんと限定版3000枚を3000円で売ることになった。当の高橋さんですら「おもしろい作品だとは思うけどレコードA面はみんなが知ってるスタンダードにしてはどうか」と心配したくらいです。しかし藤井さんは「もし売れなかったら僕が買う」とまで言ってくれ、こうして世に出た「北欧組曲」は29000枚という異例のヒット作に。

自己バンド誕生と休止 その後の音楽活動

続く翌年、自己のバンド三木敏悟&インナー・ギャラクシー・オーケストラを結成し、発表したアルバム「海の誘い」では、伝統的なビッグバンド・サウンドからの脱却をめざし、プログレッシブ・ジャズともいうべき自分の考える独自のサウンドを追求。セールスの成功とともに、海外でのレコーディングやジャズフェスティバルへの招聘など、内外で高い評価をいただきました。しかしバブル崩壊とともにこうした大編成のバンドをバックアップしてくれるレコード会社や企業もなくなり、91年、オランダで開催されたノースシー・ジャズフェスティバル出演を最後にバンドは活動休止に。
その後、映画・テレビドラマ、コマーシャルなどの作編曲の仕事をしながら、演劇やミュージカルが活動の場となっていきました。市原悦子さんとの出会いからブロードウェイとも宝塚ともちがう「独自のミュージカル」をゼロから立ち上げたり、自分の門下生の楽団で、演歌を題材に勉強会バンドを共演させたり。演劇の持つ力を音楽にそそぎこむ実験的な活動は、非常にたのしく勉強になりました。
また、35年間ヤマノ・ビッグバンド・ジャズ・コンテストの審査員を務め、現在も続いています。ひたすら音楽のことだけを考えて出場する10代の子たちの演奏は、いくつになっても僕のアイデアやイマジネーションをかき立てる刺激的な存在です。かつては演奏の途中で止まってやり直すバンド、肝心なところでプスっとぬけちゃったり、あがりすぎて一音も出せなかったソロなど、本番ではいろんなことが起こりましたが、最近の学生はそつなく優秀ですね。ただ画一的になったらつまらない。ぜひ前向きなチャレンジを続けて欲しいと思います。


1987年、インナー・ギャラクシー・オーケストラによる東京・恵比寿ファクトリーでのコンサート

日本のミュージック・シーンとこれからの仕事

いい・悪いはともかく、音楽活動のすべてが「ビジネスの原理」に飲み込まれています。子どもたちは「売れている」ものしか聴くことができない。ネットが発達し情報は山のようにあるのに、いろんなジャンルの音楽を自然に享受することはむしろ難しくなっている。また音楽は「発見と発明の連続」で進化したといわれますが、発見すべき新大陸も無人島もずいぶん減ってきた。ジャズや現代音楽は闘う相手を失い、救い主のような「スーパー・スター」や「マルチ・タレント」も出づらくなった。こうした状況はなにも音楽の世界に限ったことではないのかもしれません。
解決は容易ではありませんが、各自が専門分野を掘り下げ、互いにコラボする、横につながっていく、ということにひとつの可能性を感じています。
バンドでいえば、なんでもひとりでやろうとせず、深いところまで磨き上げたプレイヤーと熟考された譜面をつくる作曲家・編曲家が、互いに知恵を出し合い、諦めずに音楽づくりを続けていく。マイルスとギル・エバンスの関係を、現代にもういちど置き換えて、新たにつくり直してみる。そういったことでしょうか。
今年、多くの人の協力があって22年ぶりにインナ−・ギャラクシー・オーケストラを再結成し、ライブに向けて始動しています。僕の譜面は12音の間隔を調整してつくるインターバル・ヴォイシングによって書かれているため、リハーサルなしではサウンドとして成立しない。リハーサルに参加してもらうことを条件にミュージシャンに声をかけると「いまこそやりましょう!」とみなふたつ返事で快諾してくれました。先輩ミュージシャンに引っ張られてやってくる若いプレイヤーも興味しんしん、といった様子。嬉しいですね。
60歳を過ぎると体はきついけど、クリエイティブなことに没頭してるときは、若い頃以上に頭が冴えてくるのを感じます。いいものとダメなものとの選別が早くなり、人がなにをしていようが気にならなくなった。物忘れとかはしょっちゅうだけど、自分のやるべきことだけに集中できるようになって、迷いがあまりなくなりました。
えっ?まだまだ迷いがあるって? それはあなたが若い、っていう証拠ですね。きっと。(笑)

インナー・ギャラクシー・オーケストラ

■CD「海の誘い」
2013年11月6日発売

■コンサート情報
2013年12月7日(土) 東京・秋葉原 Tokyo Tuc [ 詳細はこちら

取材日:2013年10月2日
取材協力:BIGBAND! 編集部