MARIKO AWADA / Vocalist
澄んだ歌声が心に沁みる。
2010年の神戸ジャズヴォーカルクィーンコンテストで富士通テン賞を受賞した粟田麻利子さん。その美しく澄んだ歌声のみならず、作詞作曲、編曲、音楽理論までトータルに才能の羽根を広げ、現在は地元である中部地方を中心に演奏活動やレッスンなど幅広く活動されています。
今回は、そんな粟田さんから素敵な音楽に囲まれていた幼少時代、ミュージシャンを志すようになったきっかけ、そして現在から未来への展望など、自身の音楽活動についてお話をおうかがいしました。
person
ボーカリスト・作曲家・編曲家
粟田麻利子さん
岐阜県出身。大阪大学文学部を卒業後、会社員生活を経て、2007年秋よりバークリー音楽大学へ留学。
同大学Professional Music Majorを首席で卒業後、2010年5月に帰国。帰国4日後「神戸ジャズボーカルクイーンコンテスト」にて富士通テン賞受賞。その後「さいたま新都心ジャズボーカルコンテスト」にて グランプリを受賞。オリジナル曲も多岐に渡り、化粧品会社のコンテストにて歌詞部門で一位を受賞。
演奏以外にもCMやコンピレーションアルバムへの参加等、地元である中部地方を中心に積極的に活動中。
interview
「小さい頃から音楽は身近な存在」会社員からミュージシャンへ。
大阪大学卒業後、一度は普通の会社員としての生活を送っていた粟田さん。その後、甲陽音楽学院名古屋校に入学、そしてバークリー音楽大学へ留学とミュージシャンへの道を歩み始めます。音楽家を志すきっかけとなったのは何だったのでしょうか。
「母がエレクトーンの先生だったので、小さい頃から音楽は身近な存在でした。母と一緒にミュージカルやコンサートを観に行ったりしてたので、自然と音楽に親しむ環境にあったんですね。なので音楽は小さな頃から大好きで、母から受けた影響は本当に大きいです。 ただ、その頃から大学に入るまで、音楽家になりたいと思うことは一度もありませんでした。自分がなれるものと思ってなかったというのが正直なところなんですけど(笑)。
それで普通に就職をすることになったのですが、せっかくいただいたお給料なんだから好きなことに使いたいですし、将来的にはおばあちゃんになっても続けられるお仕事がしたい、母のような音楽教室の先生になりたいなという気持ちもあって甲陽音楽学院に通い始めたんです。で、その予定だったんですけど、卒業間際にバークリーの奨学金の試験があったので軽い気持ちで受けたら行けることになったんですね。なので、わりとラッキーだったというか、導かれた感じがするんですよね。
それで実際にアメリカに行くことになったのですが、実はそれまで英語が全然話せなくて、最初の1ヶ月2ヶ月は本当に大変でした(笑)。なので最初の1年は会話をテープレコーダーで録音して、家に帰って全部聴き返すようにしたりと死に物狂いで勉強しましたね。でも、そのおかげで今は英語の歌詞も理解できるようになって、アメリカに行く前後ではまったく歌い方も変わりました。アメリカに行く前に『外国人の前でも恥ずかしくないパフォーマンスができるようになろう』という目標を立てていたので、英語の発音が悪ければ歌も伝わりませんし、そういう意味でも本当に行ってよかったなと思いましたね」
「大好きな人たちと憧れの場に立てる」富士通テンチャリティーコンサート。
バークリー音楽大学留学後、帰国日を決めたのはなんと神戸ジャズヴォーカルクィーンコンテストに出場するためだったそう。帰国後4日目に出場したコンテストでは見事富士通テン賞を受賞し、そこから粟田さんの日本を拠点とした音楽活動が始まります。
「卒業後、日本に帰ろうとは思ってたんですが日程は決めてなかったんですよね。そしたら、応募していたジャズヴォーカルクィーンコンテストから『本選に選ばれました』というような内容のメールが届きまして、じゃあ帰ろうかなと(笑)。
本当はコンテストとか苦手なんですけど、日本に帰ってきたばかりですし、一度に自分のことを数多くの方に知っていただける大切な機会ということもあって、神戸、埼玉のジャズヴォーカルコンテストに応募させていただきました。
それで神戸ジャズヴォーカルクィーンコンテストでは富士通テン賞をいただいたわけですけども、結果にはとても満足しています。2月に名古屋で行われる富士通テンチャリティーコンサートは今からとても楽しみです。一緒に演奏するメンバーは、今までいろんな方と演奏してきた中でも一番大好きな人たちなので、その人たちと一緒にずっと憧れていたjazz inn LOVELYのステージに立てるというのがすごく嬉しくて。jazz inn LOVELYは名古屋では老舗で大物ミュージシャンが出る場所というイメージのあるライブハウスなんです。そこでベストメンバーと演奏できる良い機会なので、自分らしいステージをお見せできたら良いなと思います」
「大人も子どもも楽しい音楽を」粟田さんが目指すこれからの音楽。
2010年5月に帰国して以来、コンテストだけでなく、名古屋を中心にした演奏活動やレッスンなど、コンスタントに音楽活動を続けている粟田さん。そんな粟田さんのこれからの活動についておうかがいしました。
「帰国してから、ありがたいことにいろいろと声を掛けていただいて、良いペースで活動できていると思います。コンサート活動に関しては、スタンダードのジャズだけを演奏するコンサートというのが自分的には物足りなくて、どうせやるなら自分で作曲したものや編曲したものを必ず入れたいと思っているんですね。できたら毎回新しい曲を入れたいなと思うので、あまり回数が増やせないという悩みもあるんですけど、せっかく演奏するんだったらお客さんに自分のことをもっと知っていただきたいですし、やっぱり作曲、編曲は大事にしていきたい部分です。なので今のペースが私自身に合っているのかなと思います。
また、レッスンにも関わってくることなのですが、私自身の体験も踏まえて、子どもたちには良質な音楽をたくさん聴かせてあげて、耳を育てていってほしいなという気持ちがあります。なので、ジャンルにこだわらずお母さんと子どもが一緒に楽しめるような音楽も、ジャズの活動と並行して作り続けていきたいなと思っています。NHKの『みんなのうた』みたいな大人でも子どもでも楽しめるような音楽を作っていきたいですね」
特集「神戸ジャズ文化を彩る人々の魅力」 KOBE Jazz People