「その通りです。その頃にこんな話をしても誰も乗ってきてくれない。でも、逃げないという約束をした手前、辞めるわけにもいきません。法律的な許認可とかもわからないままゲリラ的に駅前にステージを組み立てたり募金を集めたり。酔っぱらいのタワゴトを実現すべく動き出したんです。
そうこうしているうち、いろんな形で協力してくださる方が出てきました。場所を貸していただいたり、古くからの酒屋さんにチラシをコピーしていただいたり…。
おかげで、我々が言い出してからなんと三ヶ月後には最初の『高槻ジャズストリート』が実現できたわけです。
ミュージシャンのつながりとスケジュールの隙間を狙った結果、なんと日野皓正さんをメインゲストに迎えることができたり…。いやあ、日野さんの男気とボランティアにはずいぶん助けられました(笑)。
まあそんなこんなで、一回目から集客的には大成功。でも、いわゆる収益を上げるための『興業』としてはやっていませんから、収支としては大赤字でした。それは言い出しっぺの北川と僕がかぶらなきゃいけないわけで(笑)その補填にクルマを売るなんてこともありましたねえ。
最初は何回やろうとか、そういう計画はまったくなかったんです。ただメインの会場が満席になるくらい、2千人くらいは集めたいね、なんて程度で。でも結果的には2万人の方々においでいただけました。そして翌年からは倍々で、何年も経たないうちに10万人を越えてしまいました。来場者数で見れば、現在日本一のジャズイベントということになりますね」 |