HIROYUKI MINOWA / Bassist
年を追う毎にますます盛況
今や日本でも屈指のジャズイベント「高槻ジャズストリート」。
毎年5月のゴールデンウィークに開催され、今年で12回目の開催となる今年、参加バンドはなんと総計571バンドという壮大なスケールとなりました。
この一大ジャズイベントのまさに発祥の地・高槻JKカフェで、創案者のお一人でもあり、代表でもある蓑輪裕之さんにお話をうかがいました。
person
高槻ジャズストリート代表・ベース奏者
蓑輪裕之さん
大阪府出身。高校在学中よりプロバンドのベーシストとして活動を開始、名古屋芸術大学を卒業後、旧西ドイツ・シュトゥットガルト音楽大学マスターコース、その後旧西ドイツ国立ロベルトシューマン音楽大学マスターコースにてモダン・コントラバス奏法を学ぶ。
80年の帰国後、ジュピター音楽院設立。インターナショナルスクールでの指導の他、99年より高槻ジャズストリートの総合企画、運営に携わり代表を務める。自己のグループを率いての公演など、国内外を問わず幅広く活動中、親しみやすいアプローチで常に好評を博し各方面で高い評価を得ている。
interview
街全体を巻き込んでの巨大ジャズイベント、 その誕生は…?
そもそもの始まりはどんなことだったんですか?
「始めは、ここで(高槻JKカフェ)オーナーの北川となんかおもしろいことしたいよなあ、なんて言ってたんです。そして同じやるならここ高槻でやろうやないかということになったんですね。ちょうどニューヨークから帰ってきたばかりで、向こうのストリートミュージシャンの質の高さと多さ、あるいはニューヨークフィルが野外で演奏したりしていることがとても印象に残っていました。そんなおもしろいことを、ここ高槻でやりたかったんです。ジャズに直接触れる機会が増えれば、結果的にジャズファンも増えるんじゃないかという期待もありましたし。
それがちょうど12年前。朝までワインを何本か飲みながら(笑)話して、じゃあやるか!ということになったわけです。やるからにはお互い逃げんといてよ、と確認をしながらね(笑)」
初めての試みはまるで手探り… ジャズストリートの黎明期
こんな形のイベントがそれまで高槻になかったとすれば、なかなかスムーズには行かなかったのでは…?

「その通りです。その頃にこんな話をしても誰も乗ってきてくれない。でも、逃げないという約束をした手前、辞めるわけにもいきません。法律的な許認可とかもわからないままゲリラ的に駅前にステージを組み立てたり募金を集めたり。酔っぱらいのタワゴトを実現すべく動き出したんです。
そうこうしているうち、いろんな形で協力してくださる方が出てきました。場所を貸していただいたり、古くからの酒屋さんにチラシをコピーしていただいたり…。
おかげで、我々が言い出してからなんと三ヶ月後には最初の『高槻ジャズストリート』が実現できたわけです。
ミュージシャンのつながりとスケジュールの隙間を狙った結果、なんと日野皓正さんをメインゲストに迎えることができたり…。いやあ、日野さんの男気とボランティアにはずいぶん助けられました(笑)。


まあそんなこんなで、一回目から集客的には大成功。でも、いわゆる収益を上げるための『興業』としてはやっていませんから、収支としては大赤字でした。それは言い出しっぺの北川と僕がかぶらなきゃいけないわけで(笑)その補填にクルマを売るなんてこともありましたねえ。


最初は何回やろうとか、そういう計画はまったくなかったんです。ただメインの会場が満席になるくらい、2千人くらいは集めたいね、なんて程度で。でも結果的には2万人の方々においでいただけました。そして翌年からは倍々で、何年も経たないうちに10万人を越えてしまいました。来場者数で見れば、現在日本一のジャズイベントということになりますね」

予想以上の大イベントに育った 『高槻ジャズストリート』、その影響は?
集客以外の成果とか反響はいかがでしたか?
「最初の『高槻ジャズストリート』の後、大阪にもジャズを演奏できる店、聴ける店がずいぶん増えたと思います。そんなことが結果的にジャズのグレードを上げていくことにもなると思うんです。
なによりも、後先考えず「とりあえずやろう!!」という気持ちが(笑)ジャズに限らず、文化を発展させるんでしょうね。
準備や実行を通じて、本当にたくさんの方々と知り合い、助けていただくことができました。やみくもに準備を進めていた時に声をかけてくれ、手伝ってくれた青年たちのことも忘れることができません。いまやボランティアはちょっと数がわからないくらい。そのくらいたくさんの方々にご協力していただいて、そのおかげで、『高槻ジャズストリート』がこんなに大きなイベントに育ってくれたんです。
これだけの数がいると、いろんなジャンルのエキスパートがいるわけで、チラシやポスターのデザインや発注などでも大いに助けられています。本当に人がいなければ成り立たないイベントで、一日だけ助けてくださる人、イベント全体を通して助けてくれる人…、まあスーパー自転車操業といいますか(笑)」
これからの『高槻ジャズストリート』に望むことなどありましたら教えてください。
「しんどいこと、難しいことも未だにたくさんあるんですが、まあ僕も言い出しっぺの一人としていまさら後には退けませんからねえ(笑)。初めての方にもリピーターの方にも、みなさんにはとにかく、ぜひ一度来ていただきたいです。来ていただければ絶対に楽しんでいただけると思います。街をあげて大歓迎しますよ!」
ご自身もベーシストとして活躍中の蓑輪さん。 実際にはまだまだ隠れたご苦労も多いことでしょう。でも飄々と、イベントを巡るご苦労も坦々と笑顔で語ってくださいました。ありがとうございました!
特集「神戸ジャズ文化を彩る人々の魅力」 KOBE Jazz People