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ジャズピープル

音楽は人生や人間を反映するもの。

2007年リリースの「カクタス•ダンス」で日本のジャズファンが一気に増えたパリ在住のフランス人ピアニスト、マニュエル•ロシュマン。フランスのエスプリを効かせたセンスの良い音楽を左手も利き手の右手と同じように自由自在に動かす演奏が評判を呼び、世界30カ国以上で演奏する真の国際派ピアニストだ。だが、なぜかまだ来日はしていない。多くの日本のファンに来日公演が望まれているマニュエルにインタビューした。
アーティスト・インタビュー by マグワイア由紀子

person

Manuel Rocheman(マニュエル•ロシュマン - フランス人ジャズピアニスト)

1964年7月23日生まれ。母はチェロとビオラ•ダ•ガンバの奏者、父はギタリストで俳優という音楽一家に生まれ、幼少期からピアノに親しむ。10歳でオスカー•ピーターソンのレコードを聴いて衝撃を受けジャズピアニストになることを決意。12歳でパリのジャズクラブでボブ•ヴァテルに飛び入りの招待を受ける。パリ国立音楽院に入学し、伝説のイタリア人ピアニスト、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの数少ない弟子の一人のアルベルト・ノイマンに師事してクラシックの技法を学ぶかたわら、ジャズピアニスト、ガブリエル・ガルヴァノフとミシェル・サルダビーにも師事。 1980年、16歳でニューヨーク滞在中、トミー・フラナガンとジャッキー・バイアードに出会い、影響を受ける。彼らとの親密な交流は、二人が他界するまで続いた。同年ボブ・ヴァテールからフランスジャズピアノの巨匠マーシャル・ソラールを紹介され、マーシャル唯一の弟子となった。 1989年には、マーシャル・ソラール・ジャズピアノ国際コンクールで優勝。デビューCDの「トリオ・ユルバン」がアカデミー・ド・ジャズの最優秀ディスク賞を受賞。1992年には、2枚目のCD「ホワイト・キーズ」でフランスの最優秀ディスクに贈られる「ジャンゴ・ドール賞」を受賞した。 その後、フランスジャズシーンの数少ないスポンサーの一つであるBNPパリバ銀行財団が、マニュエルの性格と才能を見込んで、1995年から2002年まで彼のキャリア発展をサポートした。1998年にはアカデミー・ド・ジャズのジャンゴ・ラインハルト賞の最優秀音楽家賞を受賞。 トリオやソロ、またはオリヴィエ・ケル・オウリオやサラ・ラザラスとのデュオなど、マニュエル・ロシュマンは、今日、フランスの最もすばらしいピアニストの一人とされ、リック・マーギッツァからシルヴァン・ブーフ、ドラマーではアル・フォスター、アルド・ロマーノ、ベース奏者ではジョージ・ムラーツ、カイル・イーストウッドなど、多くの有名奏者から共演の要請がある。また、国立ジャズオーケストラから作曲依頼を受け、国立ジャズオーケストラとモンペリエ管弦楽団のために「サン・フェリペ」を作曲した。 マニュエルは、作曲の才能を発揮しており、特に、2人の巨匠、ベース奏者のジョージ・ムラーツ、ドラマーのアル・フォスターとニューヨークでレコーディングしたアルバム、「アイム・オールド・ファッションド」、そして、同じくベース奏者スコット・コリー、ドラム奏者アントニオ・サンチェスとレコーディングした「カクタス・ダンス」は注目を集め、来日したことがまだないのにもかかわらず日本のジャズファンの間で話題となった。 現在は、パリの音楽院で教鞭を執りながら、世界じゅうを積極的にツアーするワールドアーティストである。


interview

オスカー•ピーターソンの演奏に魅了

── 音楽に関わったきっかけは何ですか? 

私は6歳でクラシックピアノレッスンを始めました。最初はベビーシッターが教えてくれたブギウギやジャズを弾いていました。それから間もなくオスカー•ピーターソンのレコードを聴く機会があり、私は、すぐにクラシックに全くひけを取らない彼の自由な表現、スイングやハーモニー、そしてテクニックに魅了されてしまいました。

── ご家族には音楽家がいますか?

私の家族にはミュージシャンがたくさんいます。良い意味で私の音楽的志向に大きな影響を与えてくれました。母はアングレームの音楽院でヴィオラ•ダ•ガンバの講師でした。彼女はレコーディングを何回もしています。また、バロック音楽アンサンブルで長年演奏活動をしており、現在も活動しています。海外ツアーもして日本にも3回行った事があります。私の義理の父は、バロック•オーボエを演奏し、バロック•オーボエ作成もしています。おばにはバイオリニストもいますし、父はギターを演奏し、兄弟にはピアノを弾く者もいます。私の母方の祖父はフルートを演奏し、私の祖母はピアニストで、バヨンヌの音楽院で教鞭をとっていました。 子供の頃、毎週日曜日に母が友人と集まって室内音楽を演奏していたのを覚えています。モーツァルト、シューベルト、ブラームス、シューマンなどの曲で、ジャズではありませんでしたが、とても美しい音楽だったんですよ!私の1番のお気に入りは、そんな演奏会で美味しいケーキが食べられる事でした!私の祖父は室内音楽の編曲をたくさんしていました。オペラ編曲もしていました。

── なぜあなたはピアノを選ばれたのですか?

私は子供のころからずっとピアニストになりたいと思っていました。4歳のときにテレビでフレデリック・ショパンのドキュメンタリーを見て「彼のようになりたい! 」と母に言ったそうです。

── どんなきっかけでジャズに関わることになったのですか? エピソードがあったら教えてください。

私が10歳だった時、兄がオスカー・ピーターソンのレコードをくれました。それを聴いた時、ハーモニー、リズム、ピアノテクニックとサウンド、彼の演奏の全てに魅了されてしまいました。私はそれがきっかけでジャズという音楽を演奏する人になろうと心に決めたのです。 その後、ピアニストのボブ・ヴァテルが私をパリのクラブのジャム・セッションに連れて行ってくれました。彼はとても寛大な上に情熱的で、私にいろんなことを教えてくれる父親のような存在でした。彼が公演する時にはいつも招待してくれ、飛び入り演奏もさせてくれました。私は、聴衆の前で演奏させてもらったこと、特にすばらしいミュージシャンにサポートしてもらって演奏できるチャンスを与えてもらったことをとてもありがたく思います。彼は、たくさんのアメリカ人ジャズピアニストと知り合いで、カウント•ベイシーやオスカー•ピーターソンなど多くのすばらしいミュージシャンを紹介してくれました。また、特にトミー・フラナガンと親しく、ジャキ・ビアードとはまるで兄弟のように付き合っていました。

── 音楽院はどんなところにいかれましたか?また先生はどんな人たちでしたか?

私はミュージシャン一家の出身なのでごく自然にパリの国立音楽院に進学しました。私の祖母もその音楽院の講師だったのですよ!そこで 私は偉大なピアノの先生に出会いました。アルゼンチン出身の有名なピアニスト、マルタ・アルゲリッチとダニエル・バレンボイムと同世代のアルベルト•ノイマンです。彼らは皆、かの有名なヴィンチェンツォ•スカラムッツァの門下生なのです。 その後アルベルトはイタリアに移住してアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリに師事し、その後パリへやってきました。彼は私が完成度の高い演奏をしっかりできるように、とても貴重なテクニックや音楽的知識を惜しみなく授けてくれました。 私は音楽院で優秀賞を受賞したことがあったのでクラシックピアニストとしてのキャリアも選択できたかもしれません。しかし、子供の頃からジャズへの情熱がありすぎました。ですから、ある時、時間を取られる上に、自由に即興ができないのであまり満足感を感じられないクラシックの仕事はあきらめました。

難しく考えずに音楽をそのまま聞いて喜んでくれるのがとても嬉しい

── フランスのジャズピアノの巨匠、マーシャル•ソラルと出会いについて教えてください?

初めてマーシャル•ソラルのレッスンを受けたのは、私が16歳か17歳の時のことです。彼のピアノにさわった瞬間、それが大変なピアノだという事がわかりました。鍵盤をすごく強くたたかないと音が出てこないのです。マーシャルは、コンサート会場で演奏するピアノがどんなにひどい状態のものでもがっかりしないように自宅のピアノの状態をそのように調律していたのでした。彼の考え方には私も同感です。コンサートやライブ会場で自宅にあるようなベストの状態のピアノが出てくるとは限りません。それで、指の訓練も兼ねて力強く弾かないとちゃんとした音が出ないピアノを買いました。私は、レッスンを受けるため、マーシャルの家に通いました。彼は、自作の即興曲をノートに書き留めるようにと指導し。また、私がピアノに向かうと彼は身を乗り出して鍵盤上の指の動きをじっとみて、「マニュエル、即興で曲を弾いてごらん。」と言いました。私は、ちょっと恥ずかしかったですが、自分でも結構面白くできたのではないかと思った自作曲を演奏してみました。彼はとても理解があり、いつも励ましてくれました。

── プロのミュージシャンとしてのキャリアは何歳でどんな風にスタートされたのですか?

私のプロのキャリアは17歳から始まりました。ビル・エヴァンスと親しい友人だったベルナルド・モーリが、ニーナ・シモーネが演奏していたパリの有名なジャズクラブ「レ•トロワ•メイエッツ」で私を代演に指名してくれたのです。それ以来あちこちから引き合いがくるようになりました。

── たくさんの賞を受賞されていますが、どれが一番大切な賞ですか?またそれはあなたの音楽キャリアにどんな影響があったのでしょうか?

1998年に受賞したジャンゴ•ラインハルト賞の受賞が一番大切です。その年のジャズのトップアーティストが受賞する賞なので、本当に嬉しく、誇りに思いました。それから仕事の依頼が来るようになりました。

── クラシック音楽も演奏されますが、ジャンルを超えて演奏するのはあなたにとってどんなことでしょう?

私はもともとクラシックピアノの勉強をしたので、クラシックを演奏することは難しいことではありませんでした。クラシックの知識は、ジャズの演奏にとても役に立つのです。 1996年に、ガーシュウィンの「ラプソディ•イン•ブルー」をオーケストラと共演してレコーディングしました。オーケストラと演奏するのはとても楽しかったです。しかし、ジャズマンとしては、譜面に書かれてあることをきっちりその通りに演奏することに多少ストレスを感じました。やはりジャズは即興で演奏できるのが楽しいのです。

── 30ヶ国以上にツアーで行かれていますね。どんな国が好きでしたか? 面白いエピソードがあったら教えてください。

私は幸運なことに、たくさんの国で演奏するチャンスがあり、行った先の文化や習慣に触れられることをとても楽しく感じます。メキシコでは、お祭りがとてもカラフルなのがとても印象的でした。また、韓国に行った時は、レストランでウェイターさんを呼ぶとすぐに対応してくれるサービスに感心しました。どの国もそれぞれ勝手が違うのが面白いと思います。 最近はメキシコに行き、400席のコンサートホールとジャズクラブで演奏しました。そのほかに2度マスタークラスで教えました。メキシコの地方の人たちはあまりジャズに精通していないので、難しく考えずに音楽をそのまま聞いて喜んでくれるのがとても嬉しいです。ツアーに出て大変だった時もあります。ルーマニアの小さな町で演奏した時、会場についてピアノを見たら、なんと、真ん中の鍵盤が何個も欠けていました。とてもびっくりしましたが、お客さんも来て、演奏の時間になったのでそのピアノで演奏をするしかありません。ジャズは即興の音楽ですが、あの時ほど創意工夫をしたことはありません。とにかくある鍵盤を使ってなんとか演奏を乗り切りました。

── 何か国語を話されるのですか? そして、どうやってそれらを学ばれましたか?

私はスペイン語、英語、フランス語を話します。 フランス語は母国語で、高校の外国語で英語とスペイン語を学びました。チャンスがあればいつでも練習するようにしています。外国語ができるとツアー先でとても便利です。

── パフォーマンスの前はどうしていますか?

私は頭を空っぽにして何も考えないようにしています。最も重要なことは:私はリラックスすることが一番大切と考えています!

── フランスの音楽院で教鞭をとられているそうですが、学生を教えることは楽しいですか? 音楽院以外ではどんなところで教えられていますか?

はい、パリではIMEP Paris College of Musicというジャズ専門音楽院などで教えています。年間を通して教えていますが、学生はすでにそれなりに演奏できる人たちなので、私の仕事は、完璧により近づくよう仕上げを手伝うことです。音楽院以外には毎年夏に色々なフェスティバルで演奏しますが、だいたいフェスティバルに合わせていくつかマスタークラスを開催しています。 昨夏は、フランス南西の街、マルシアックのジャズフェスティバル、Jazz in Marciacで演奏とマスタークラスをしました。

── あなたの音楽以外の趣味は何ですか?

私の趣味は読書です。そして水泳も好きです!

misTeRIOは自分の初恋の相手に久々に再会したような感じでジャズに向き合った作品

── 最新アルバム、misTeRIO (ミステリオ)について教えてください。

このアルバムは、ブラジルやインド洋への旅をした後に、自分の初恋の相手に久々に再会したような感じでジャズという音楽に向き合ってできた作品です。音楽的なイメージ、純粋で鮮やかな色彩のお祭りのような、感覚的な音色の手の込んだものに仕上がりました。全曲がラテン感覚でつくった自作曲で、長年一緒にに活動しているマシアス•アラマン(b)とマチュー•シャザレンク(ds)とのトリオで演奏するために書き下ろしました。彼らは音楽にとても真摯に向き合うすばらしいミュージシャンなので、いつも刺激しあえる仲間です。一緒にとても楽しくレコーディングできました。misTeRIOは「謎」を意味しています。私にとって「音楽」は、深く追求しても、どこかしら謎の部分があると感じています。音楽は人生や人間を反映するものなのです。言葉で音楽を描くのは難しいことですが、私はそれをもっと分かりやすくするために音楽でダンスしてみたとでも言ったらお分かりになるでしょうか? とにかく、このプロジェクトは私の心に深く残るものでした。情熱と感情を注ぎ込んだつくった作品です。リスナーの皆さんがこのアルバムを私同様にお気に召してくださることを願っております。

── 今後のレコーディングプランはありますか? あれば、それはいつですか? それ以外の場合は、最後の録音について教えてください。

私はいつも次のレコーディングについて考えていますが、今まだその時は来ていないと感じています。そのうち準備ができたと自分で感じる瞬間が来たらその時だと思っています。

── 2007年にリリースされたアルバム「Cactus Dance」は日本のジャズファンの間で話題になり、しかし、あなたは日本にまだ行ったことがありません。機会があれば日本に行ってみたいですか?

日本のジャズファンの皆さんに「カクタス•ダンス」に注目していただいたことはとても光栄なことと感じています。 日本はジャズにとってとても重要な国で、観客のレベルも高いと聞いています。また日本はジャズだけでなく、経済や文化など、色々な面で世界的にとても重要ですから、常々行ってみたいと思っています。日本のアーティストでは、神戸出身の小曽根真さんに注目しています。彼のテクニックも素晴らしいですが、非常にインスパイアされた方だと思います。まだお会いしたことはありませんが、一度2台のピアノで共演してみたいものです。

── ミュージシャンとして成功するためにはどうしたら良いと思いますか? また、あなたの場合何をしたことが良かったのでしょう?

正直なところ、私がミュージシャンとして成功するために特別に何かしたと思ったことはないのです。成功の秘訣というものは存在しないのではないかと思います。私がしてきたことは、とにかく練習してきたということだけなのです。

── ミュージシャンとして成功するために大切なことは何と思われますか?

常に練習をし続けることです! 決してやめてはいけません。

── これから音楽でどのようなことをして行きたいですか?

美しい音楽をたくさん作曲したいです!

── 日本のファンにメッセージをお願いします。

日本の皆さん、お待たせしておりますが、必ず近い将来日本公演を実現したいと思っています。ぜひ、その時まで待っていてください!みなさんにお会いするのを楽しみにしています。

information

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MANUEL ROCHEMAN // misTeRIO // Presentation



[ Release ]

Manuel Rocheman – misTeRIO
Label: Bonsaï Music – BON160401
2016リリース

収録曲
1. Together
2. Promenade
3. misTeRIO
4. Heart to Heart
5. After Sorrow
6. Second Chance
7. So Close
8. Good Luck
9. Long Time Ago
10.Circle

メンバー
Double Bass – Mathias Allamane
Drums – Matthieu Chazarenc
Piano – Manuel Rocheman

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