レイク・シェランでボビーは僕に「Sand&Surf」というレストランクラブを紹介してくれた。ピアノを弾いてみせたら、オーナーのメリーさんはものすごく気に入り、「契約しよう!」と言ってくれた。僕が「仕事はできない」と言うと、彼女は「No plobrem」と言いながらテーブルの上に小さなブランデーグラスを置いた。それはチップボックスだった。僕は「チップはおひねりのような感覚で、いい気分がしない」と言うと、メリーさんは「チップはあんたの音楽のバロメーターだ。音楽が良ければ増えるし、悪ければ少ない」と答えた。なるほどなと感心していると、メリーさんはニタリと笑って今度は直径20cmぐらいある大きなブランデーグラスを置いたのだった。
それから僕は毎日「Sand&Surf」でピアノを弾いた。町内放送で僕のことも紹介してくれるようなアットホームな街だった。「From TOKYO」と言うので、「違う!From KOBEだ!」と否定すると「I don’t know」と言われてしまった。しょうがないから、「せめてFrom JAPANと言ってくれ」とお願いした。街で車に乗っていても皆が手を振ってくれるほど、僕は街でちょっとした有名人となった。
街の皆は根っからのジャズ好きで、リクエストはコール・ポーター、ジョージ・ガーシン、リチャード・ロジャースなどの名前が挙がる。40マイルも離れたところからも毎日聴きにきてくれる人がいて、僕は本当に嬉しかった。
アメリカ旅行はトータルで半年間、そのうちレイク・シェランには1ヶ月滞在した。僕が日本に帰る最後の日にはパーティーを開いてくれた。僕は嬉しくて、最後の日はいつもよりもたくさんの曲を弾き、ラストに「蛍の光」を披露した。皆が泣いてくれたのが印象的だった。翌日、僕はレンタカーで400km離れたシアトルに戻る予定だったのだが、朝9時にメリーさんが家に来いと言う。行ってみると、街の人たちが勢揃いで朝ごはんを振舞ってくれ、なんと車3台でシアトルまで送ってくれると言う。レイク・シェランの人たちの温かさが心に沁みた。音楽はやはり万国共通だなと実感したアメリカ旅行だった。
まだまだ書きたいことは尽きないのだけれど、次はいよいよ最終回。次回は、日本に帰ってきてから現在に至るまで、そしてこれからのことについて書こうと思う。では、次回もお楽しみに。 |