スーパーマーケット業に専念するといっても、僕は商売に関してはまるで素人なので、最初の1年間は平社員だった。当然給料も低い。テレビやラジオに出ているときの1/3ぐらいになってしまった。結婚して長男のまー坊が生まれたばかり、僕の奥さんは真っ青になった。でもまあしょうがない、人生にはいろいろ付きものなのだ。あのときには奥さんには苦労をかけたと思う。
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僕、妻、長男まー坊、次男の啓と。 |
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平社員の僕の上司は、三越出身のおじさんだった。百貨店出身の人だから、僕同様スーパーのことはまるで分からない。彼のなかではスーパーも百貨店も同様だったのだろう、彼が手掛けた内装は百貨店そのもので、ショーケースを何十、何百個と作り上げてしまった。お行儀よくショーケースに並べられた商品、でも店の名前は「多聞ディスカウントセンター」、そもそものお客さんが「ディスカウント」という言葉の意味をよく知らない。当たり前だけど、びっくりするぐらい流行らなかった。
流行らないスーパーだったが、二年目に入ったときに僕は常務取締役に昇格した。といっても、平社員に毛が生えたようなもので、大阪まで現金を持って女の子の下着を買い付けに行くのも僕の仕事だった。ブラジャーやパンツ、そんなもの男の僕が知るわけがない。薄いブルーのことをサックスと言うが、楽器のことじゃなくて色の名前だということをそのとき初めて知ったぐらいだ。もちろんブラジャーにサイズがあるのも知らなかった。
卸専門店の女の子のアドバイスを聞きながら買い付けていたのだが、一度ぐらいは自分のセンスで買ってやろうと思って真っ赤なフリルのパンツを1デカ(10枚)購入して帰った。このパンツには、その後、面白いエピソードがある。 |