ジャズ探訪記
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PIT INN(ピットイン)
素晴らしい音楽にはなにもいらない@東京・新宿

「ミュージシャンがやりたいことをやる。それがピットイン。」開口一番、店長の鈴木寛路さんはそうおっしゃった。うーん、なるほど。そのとおり!

80年代、月に数回ここを訪れていたワタシの経験からしても、深く深く頷ける。
掃除機のホースをぶんぶん振り回し、サックスといっしょに吹いていた梅津和時と渡辺香津美の怪演、泥酔してヘロヘロのまんまステージに上がり「トコを呼べ!」と暴れ、無理矢理ドラマー日野元彦を呼び出して、結局本人はろくに演奏しなかったスティーブ・グロスマン、日本のトップミュージシャンを結集させ、身震いするような演奏を聴かせたあのラージアンサンブル「Saifa」の佐藤允彦……等々思い出したらきりがない。ここはジャズミュージシャンのみならず、ジャズファンにとっても聖地であり、無法地帯であり、共演・競演・狂演・饗宴のためのジャズの殿堂なのだ!

ピットインは1965年のクリスマス、新宿紀伊国屋裏にカー・アクセサリーを置く喫茶店としてオープン。「PIT IN」ではなく、「PIT INN」なのは、穴ぐらの宿という意味と語感が気に入ったからだそう。当初ジャズはBGMとして流していただけなのだが、気がつくとなぜかお客は車ファンではなく、ジャズファンばかり。やがてライブが行われ、「スイング・ジャーナル」にスケジュールが載るようになる。渡辺貞夫、宮沢昭、山下洋輔、富樫雅彦をはじめ、数えきれないほどの多くの有名ジャズミュージシャンを輩出し、今日に至るまでその演奏活動を支えてきた。また一方では、唐十郎率いる状況劇場の上演場所でもあったピットインは、60年代のべトナム戦争・学生運動等の激しい社会の動きとともに、新宿という街の歴史を形づくってきた拠点そのものといえるのだ。
と、のっけからついチカラ入っちゃいました。いやー、やはり青春時代の思い入れがあるもんで。
92年に紀伊国屋裏から現在の新宿3丁目へ移転。ワタシもここへ来るのはずいぶん久しぶりだ。

本日のライブは村田陽一オーケストラ。トロンボーン奏者・村田さんは、若い頃からまさにここを活動拠点として、どんどんビッグになっていった人。月曜日だというのに会場はほぼ満席。すごいすごい。期待どおり、終始熱い演奏を聴かせてくれました。
ライブ演奏の迫力はもちろんだけど、一歩足を踏み入れたのとたん、「嗚呼!これぞまさにピットイン!」と思わず声をあげそうになるのには、ワケがある。

その理由1
あいかわらず客席すべてがホールのようにステージを向いている。音楽を見聴きするためだけの造り。
その理由2
やたらとデカいPA。賛否両論あろうとも、シャバのいろんな出来事を音楽でかき消すのがピットイン流。
その理由3
今どきあきれるほど少ないメニュー。

が、特筆すべきは、なんとピットインはいまだもって「ワンドリンク」付きである。ミニマム・チャージ不要、というのは音楽ファンにとってどれほどありがたいことだろう。
店長鈴木さんは言う。
「ピットインはミュージシャンのためばかりではなく、音楽好きのお客さんのための場所。女性のかたが会社帰りにひとりでも抵抗なく立ち寄れる。メニューがたくさんあると儲かるんですけどね。でも一晩で何千円も使ったら気軽にライブへ行けなくなるでしょう。いい演奏をたくさん聴いてほしい。それに素晴らしい音楽には、ほんとうになにもいらないんです。」
もう泣きそうである。
これが開店以来守り続けている、ジャズの殿堂ピットインの流儀。あ、そうそう、あれも聞いておこう。あのう店長、朝の部・昼の部・夜の部ってまだあるんですか。(朝からスタートし、プロになるにつれ、夜の部の出演へ自然移行する、というピットインの伝統)
「さすがに朝の部はなくなりました。というのは機材が年々複雑になって、朝の部から始めるとセッティングだけで終わりそうですから(笑)。昼の部はもちろん健在です」
ふと顔を上げると壁面にはコルトレーンの巨大なパネルが。あれはたしか紀伊国屋裏時代から掛かっていたものだ。彼の牛のように澄んだ瞳は、半世紀近くに渡り、ピットインの、つまり日本のジャズの歴史を見つめてきた。今もジャズシーン最前線のこの「現場」を、どうかこれからもずっとずっと見守っていてほしい。

Jazz Live House PIT INN
●東京都新宿区新宿2-12-4 アコードビル B1F
●TEL:03-3354-2024
取材協力:BIGBAND!編集部
取材日:2010.07

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