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立ち飲みの串カツ屋さん、餃子屋さんにお寿司屋さん、テニスショップ…。
阪急・三ノ宮高架下は、ジャンルを問わないお店が寄り集まっていて、勝手のわからない僕にはかなりワンダーランドである。すぐ近くなのにも関わらず、南のセンター街、あるいは北のサンセット通とはまったく違う空気が此処には流れているようだ。 |
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さて、道順はというと、三ノ宮駅を降りてサン北通を西へ、サウンド・ファーストの角を南に少し入れば、スツールの並ぶ串カツ屋さんのお向かいがもうジャヴァなんである。徒歩…2分くらいかな?ほとんど駅構内と言っていいくらいの「駅近」なお店だ。入り口脇には背の高い観葉植物が並べられ、なんとものんびりした雰囲気の包まれている。なんというか…、ここだけ違う風が吹いている感じなんですね。 |
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こんにちわ…とドアを開けると。
あれー、なんともこじんまりした落ち着いた空間。どこもかしこも落ち着いた艶につつまれて、のんびりとくつろいでいる。えーと、あれ?ジャズ喫茶ってこんなんだったか知ら。あ、そういえばボリュームも大きすぎず、音楽はちゃんと聞こえるけど、会話の邪魔にはならない。実に絶妙なバランスである。ちなみに、「ジャヴァ」とは南国の島ジャワ、つまりインドネシアの島名。それとジャズをかけて、この店名になった…と後で教わった。 |
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お店に入って、すぐに目につくのはどかーんと構えたオーディオセット。オープンリールのデッキを中心に、なんともクラシックな機器が鎮座している。創業者の林さん(現オーナーのお父様である)は貿易の仕事もされていたということで、ドンブラコドンブラコと船に乗って、はるばるアメリカからやってきた機器なんだそうだ。
1953年の開店当時(!)、この機器の中でも、アンペックス601のオープンリールは、ここジャヴァとNHKにしかなかったという。そして、この機器が納まるラック(いや、そんな軽々しい名前は似合わないんだけど…、オーディオ・チェストとでも言うべきかな?)も特注品。
当時、ジャズのレコードはおろか、モダンな音楽そのものに触れるのが難しかった時代、まだまだ「敵性音楽」なーんていうイメージの残っていた時代である。このお店はどんなにかキラキラした存在だったことだろう。
コーヒーも決して安いものではなく、今ほど気軽に飲めるものではなかったとか。今は寿司屋さんになっているところに、当時は質屋さんがあって、そこで何かを質草に入れて、そのお金でコーヒーを飲みにくる…なんてお客さんも当時はいたそうである。
そして、えーと、あの、カンタンに1953年開店なんて言ってますけどね、昭和で言うなら28年。54年の歴史があるんですよ、このお店。
なんと54年!半世紀以上! |
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いやあ、その間、いろんなドラマがあったんだろうなあ…なんて思ってお話をうかがうと、やっぱりそんな話題には事欠かないようだ。
親子二代にわたって…というお客さん、アルゼンチンに移住したという昔なじみのお客さんとの再会とか…、そうそう、江利チエミさんや大橋巨泉さんなんかのエピソードもたくさんあるらしい。 |
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テネシーワルツといえば江利チエミ、江利チエミといえばテネシー・ワルツってなもんだけど、江利チエミさんも公演の後など、よくここジャヴァに来られていたそうだ。今でも、彼女が(なんと14歳の時の録音である!)歌うテネシー・ワルツのSP盤が飾られている。
当時のジャズシーンは進駐軍と切っても切れない関係だけど、当時、チエミさんも歌っていたキャンプで、進駐軍むけにブランデー・ケーキを焼いてた…なんて人が、今でもときどきこの店を訪れるそうだ。もちろん手作りのブランデー・ケーキを手土産にして。 |
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大橋巨泉さんも、当時はまだまだ新人のジャズ評論家(最初の奥様はマーサ三宅さんでしたね)。その大橋氏がレコードを解説しながら、今で言うならディスク・ジョッキーをここジャヴァでやっていたんだそうだ。 |