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ジャズピープル

親子二代。淡路島の学校と長くて深いつながり。

毎年、夏に神戸で開催される中高生ジャズの祭典Japan Student Jazz Festivalで”ベストサウンド賞”を受賞した団体に副賞としてデンソーテンよりレコーディング権を贈呈しています。今年は淡路島にある柳学園中高ジャズバンド部の皆さんが受賞されました。レコーディングのため同校にお邪魔し、同校教諭 で顧問の郡俊明さん、間野久美子さん、そして長年柳学園と親交を深め、淡路島で演奏会や技術指導などをされている伊波 淑(いば よし)さんにジャズバンド部のことをお伺いしました。

person

伊波淑

アマチュアビッグバンド「ビッグバンド オブ ローグス」リーダーの父から影響を受け、幼少よりジャズ、ラテン、ビッグバンドに興味を持つ。「東京キューバンボーイズ」先代リーダー、見砂直照氏にラテンの楽しさ、素晴らしさを教えて頂き、ラテンパーカッショニストとして生きる決意をする。ラテンパーカッションをチコ島津、ジャズドラムを海老沢一博にそれぞれ師事。「熱帯JAZZ楽団」のパーカッショニストを経て、現在「オルケスタ・デ・ラ・ルス」に所属。学生バンド、社会人バンドのクリニシャンとしても活躍している。



柳学園中高ジャズバンド部

柳学園中高ジャズバンド部“Swinging Willow Jazz Orchestra”は、1986年にたった3人のブラスバンド部として発足。1988年ビッグバンド編成に移行、1992年ジャズバンド部に部名を変更し、今年で創部32年を迎える。現在では、学校行事や島内外でのさまざまな演奏会に出演し、毎年クリスマスにはチャリティコンサートを開催。2018年4月からは校名変更に伴い、“蒼開中高ジャズバンド部Swinging Willow Jazz Orchestra”として活動する。



interview

高校時代からの縁。多くの人とのつながり。


伊波淑さん
郡俊明さん間野久美子さん

── 早速ですが、伊波さんと柳学園との交流のきっかけを教えていただけますか。

郡「伊波さんが高校生の頃に、横浜の中高生のコミュニティバンドに入っておられて、お父さんである伊波秀進さんがご指導なさっていました。そこで柳学園と淡路島で合同練習をさせていただき、Student Jazz Festivalに出るということがあったんです。」

── どのくらい前のお話でしょうか。

伊波「23~24年前くらいですね。僕が高校生のころでしたから。」

── その時、柳学園とのことは覚えていられますか。

伊波「熱かったのを覚えていますね。島の中にビッグバンドがあって今より倍くらいの部員数がいたんじゃないかな。普通のバンドとJrバンドと二つあって盛んだったのを覚えています。こんなすごいところにこんなビッグバンドがあることに驚きました。」

間野 「こんなすごいところというのは淡路島のことでしょか(笑)。」

郡 「当時は、橋がなかったので、船に乗って来てくださったんです。」

伊波 「そうでしたね。品川から青春18切符を使って、夜中みんなで20人くらいで電車乗って。もちろんその中には50いくつの父もいて。それで神戸についてフェリーで淡路島に行ったのを覚えています。最初、何だか分からなくて連れて来られて。2回目に来た時は港で演奏したりもしましたね。」

郡 「最初の合同練習のきっかけというのは、お父さんである伊波秀進さんが、Japan Student Jazz Festivalで柳学園の演奏を聴かれ、気に入ってくださったそうです。当時のジャズ雑誌にもそのコメントを書いてくださっていました。それで、淡路島で合宿したら面白いだろうということで声をかけていただき、今に至ります。」

── そこからのつながりというのはとても長いですね。

郡 「そうですね。その後、サマーキャンプということで千葉県や茨城県や関東の高校ビッグバンドも参加していだけるようになりました。高砂高校も参加してくださいましたね。」

伊波 「そこに特別講師として東京ユニオンの高橋達也さんが来られたんです。」

郡 「その後2~3年続いたんですけど、イベントの運営が大変だったのと、地震の影響もあって辞めてしまいました。そのころはStudent Jazz Festivalは服部緑地でやっていたと思います。」

── では、サマーキャンプを経て、関係が続いているのですか

郡 「当時、千葉県のある学校の先生が、高橋達也さんにレッスンに来てもらったという話を聞きまして、伊波秀進さんに淡路島で遠いけど、来てくれるかなと相談したことがあるんです。そうすると毎年、高橋さんが淡路島に来てくださるようになりまして。伊波さんにも来ていただきながら、高橋さんにも来ていただけるようになり、クリスマスコンサートにも出ていただくようになりました。しばらく何年間か来ていただいて、その後、高橋さんが入院をされたので、次に一緒にやる機会に備えて、しっかり準備しないと申し訳ないということで海老沢一博さんと伊波淑さんが来られるようになりました。そして高橋さんが亡くなられた後も、伊波さんのお世話で引き続き海老沢さん、淑さんに来ていただいています。」

間野 「お父さんの伊波秀進さんとは長くお付き合いがあり、伊波淑さんは学生時代にご縁があって、それから十数年後にまたご縁があって来ていただけるようになりました。」

伊波 「高校の時、僕はトランペットをやっていたんだけど、大人になってパーカッションの指導に来ることになり、その当時は柳学園にはラテンパーカッションはなかったのですが、学校で楽器まで用意してくださり。そこから柳学園でラテンが始まったと聞いています。多分10年くらい前になりますかね。」

郡 「関西ではラテンをやっているバンドがほとんどなかったので。それで最初はたたき方をDVDにしてもらって、通信教育みたいなのをしていただきました。」

── それは貴重なDVDですね。子供たちも大変喜んだことでしょうね。

郡 「高橋さんが亡くなられた後は、海老沢一博さんに来ていただいています。」

伊波 「僕の父と海老沢さんと三人体制で指導に来ています。みんな少しづつ予定をずらして来ていますね。」

郡 「最後はクリスマスのコンサートで共演するといことになります。」

── 淡路島は結構遠くないですか。

伊波 「もう慣れましたね。」

郡 「関西に来られた時も寄っていただいたりしています。ありがたいですね。」

妹や弟のような感覚で。目線を合わせて。



── 伊波さんは学生や社会人のクリニックなどを積極的にされているとお伺いしました。

伊波 「やっぱりプロだけ楽しくやってもだめなんですよね。ジャズもラテンも僕は小学生から触れてほしいと思っています。僕が経験したことを生徒さんだったりアマチュアの方に教えていきたいですね。僕もアマチュアビッグバンドでずっとやっていたので、こうしたらもっと楽しくなるよっていう指導を心がけていますね。」

── レコーディング中も子供たちと同じ目線で教えていたり、一方的に教えるでなく、子供たちに意見を求めたり、子供自身に考えさせる素晴らしい指導ですね。

伊波「そうですね。そうしていかないとね。もちろん一方的に指導することでうまくなる子もいるんでしょうけど、あんまり僕はそういうやり方をはしないですね。もっと先輩方が”がっ”と言って教えるでしょうし、それぞれ役割分担ありますんでね(笑)。僕は弟や妹のような感覚で”楽しいんだよ”と接していけたらなと思います。“楽しい”と思わないと続かないですからね。ただ、一方で”楽しい”だけじゃなくて”ちゃんとしないとダメなんだよ”っていうところもあるんですけどね。ですので、返事しなかったりすると怒ることもありますよ。」

── プロの方との出会いや練習にかけて来た時間を考えれば、ぜひ子どもたちには楽器を続けていってもらいたいですね。

伊波 「僕がメンバーとして最初に来た中高生のバンドは、当時はアメリカツアーまで行って、盛り上がったんですけど、社会人になるとみんな楽器を辞めてしまったんだけど、僕は何とかへばりついて続けています。この間、メンバーの結婚式があって、久しぶりに会うと、”お前だけはずっとやってくれ。続けてくれるのがうれしい“と言ってくれましたね。なかなか厳しい環境ではありますけど、続けてもらえるといいですね。」

間野 「ここは、学校を卒業しても続けてくれる子が多いです。ここを卒業したら大学で続ける子は多いですよ。次は山野を目指す子が多いですね。そういう流れができているのかなと思います。」

郡 「あと、ここは社会人になって神戸近郊に住んでいても、淡路島のビッグバンドで活動する子もいたりしますよ。親御さんも練習になると淡路島に帰ってくるからうれしいという声を聞いたことがあります。今日も学校の練習場でOBが練習していますよ。」

淡路島でのジャズ文化の中心に。



── 淡路島には地域の特色あるビッグバンドがあっていいですよね。東京や大阪と違って、人も限られているでしょうから。

伊波 「確かに関東の方が少し洗練されている印象はありますけど、それはやっぱり聴く機会や場所もたくさんありますし。どうしても淡路島の中では限られていますので。でも、僕らがビルボードでライブをやる時もみんなで観に来てくれたり、僕らもうれしいし、子どもたちもそういうことを通じて音が良くなって来たと思います。あとこの学校の素晴らしいのは中学1年生から高校2年生までが同じバンドでやってることですね。」

郡 「今のメンバーも高校生が4人でそれ以外はみんな中学生なんですよ。」

間野 「子どもたちは簡単に上達の方法を自分から求めていくことはできませんので、年に数回こうしてプロの方にご指導いただけることはありがたいですね。」

── ところで間野さんはレコーディング中にトロンボーンを吹いていられましたが、郡さんは楽器はされるんですか。

郡 「昔、トランペットを少しやっていましたが、今は段取りばっかりです。」

伊波 「郡先生はなぜか、中高トランペットをやっていたのに、大学は忍者部に入ったそうです(笑)。全員が煙に巻かれてますね(笑)。」

── 話は変わりますが、柳学園にビッグバンドが出来たのはどんな経緯だったのですか。

郡「最初、吹奏楽部が休部していたんです。3人くらいの子がなぜか僕に演奏をしたいんだけどと相談がありまして。それで吹奏楽部で1年間活動することになりまして。ただ、部員が集まらず、人数が足りなかったので、ビッグバンドならできるんじゃないかということで、ビッグバンドを始めることになりました。そこから今に至ります。32年くらいです。」

── かなり歴史があるんですね。

郡 「一番歴史があるのは村野工業で、高校生ビッグバンドの草分けですね。その次は高砂高校じゃないでしょうか。甲南と北陽が続いて、うちになると思います。」

伊波 「関西でビッグバンドはどのくらいあるんですか?」

郡 「今、STUDENT JAZZに参加しているのは50バンドですね。」

伊波 「そんなにあるんですか。すごいですね。去年父のバンドで久しぶりにSTUDENTにゲストとして出演して、レベルがとても上がっているのに驚きましたね。山野にも負けず劣らずのイベントですね。山野には、僕は出たことないんですけどね。そもそも山野は父が始めたイベントなんですよ。元々父は山野に勤めていたんです。」

間野「うちのOBが関学で出場した時に、観に行ったんですが、圧倒されました。STUDENTの熱さとはまた違うお客さんの熱さと学生の熱さを感じました。」

これからも子どもたちと楽しみを分かちあいたい。


── 伊波さんの今後やってみたいことはどんなことですか。

伊波「クリニックだけじゃなくて、いろんなところで子どもたちとコンサートやりたいですね。本番と練習はまたちょっと違いますからね。こないだも神奈川の笹下中学というところのゲストに呼ばれて。子どもと一緒に本番をやるっていうのはいいことですよね。」

郡 「伊波さんは東京でもクリニックなどをされています。ほかに大田区で下丸子ジャズ倶楽部というイベントもされていますし、何といっても”大田区のラテン大使”をされていたのですよ。蒲田の駅に伊波さんののぼりがたくさん上がっていたのには驚きました。」

伊波 「何年か前にありましたね(笑)。もちろん普通にライブもやっていますよ(笑)。今はオルケスタ・デ・ラ・ルスというバンドと森村献さんという熱帯JAZZ楽団のピアニストの方とコンボだったり。あと自分のビッグバンドがあって、それはドラムなしでパーカッションが3人いる編成で、カウントベイシーやグレンミラーの譜面をそのままラテンのリズムでやるとどうなるかというのをやっています。僕が昔から聴いていた曲をラテンにするっていうのをやっています。」

── 楽曲のアレンジは大変ではないですか。

伊波 「メンバーに譜面渡すと、ラテンにしてくれるんですよ(笑)。リードトランペットがキューバ人のルイス・バジェさんなので、こっちがラテンのリズムを出すと、みんなラテンで吹いてくれます。父が譜面を売る商売をやっていたので、それを少し使ったり。ピアノのあびる竜太さんがアレンジしてくださったのをやったりしますね。」

── 伊波さんの今後の活躍を期待しています。また、柳学園は蒼開中学高等学校と校名が変わるとお聞きしました。これからも同校のジャズバンド部の活躍を合わせて期待しています。本日はありがとうございました。