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ジャズピープル

半世紀以上にわたり、第一線で日本のサウンドをつくり続けるジャズの巨匠

ジャズピアニストとして、また作・編曲家として半世紀以上にわたり、幅広く日本の音楽シーンをリードしてきた前田憲男さん。その音楽家としてのヒストリー、そして80歳を超えた今も第一線で活躍を続けるパワフルな原動力についてお話をうかがいました。

person

前田憲男
[作編曲家/ピアニスト]

1934年大阪生まれ。独学でピアノを習得し、高校卒業後プロ入り。ピアニストとして高く評価されるとともに、アレンジャーとして幅広い分野で活動。1975年からの『11PM』へのレギュラー出演で好評を博し、『ミュージック・フェア』などの音楽監督を担当。1980年に「ウィンドブレイカーズ」を結成、今年で36年目を迎える。自己のトリオやスペシャルビッグバンドおよび全国主要オーケストラの客演指揮など、多彩な演奏活動を展開。1983年「南里文雄賞」、レコード大賞「最優秀編曲賞」、2014年「文化庁長官表彰」を受賞。

interview

18歳でジャズピアニスト。上京後は新進気鋭の編曲家へ

── 教師のお父上から読譜とピアノを習い、軽音楽部でコードを学んだとのことですが、独学でプロとしてステージに立つことになり、またどにようなきっかけで編曲を始められるようになったのでしょうか。

「当時はなにしろ音楽ができる人材が少なかった。進駐軍関係の仕事なら楽器をもって東京駅の前に立っていればいい、なんて言われていたくらいだからね(笑)。高校を出てすぐ、スカウトされ伊丹空港周辺の米軍キャンプでピアノを弾くようになりました。そのときに「この曲をやりたいから譜面をつくってくれ」と頼まれ、レコードを耳コピーして三管の譜面を書くようになった。また当時入手できたナインピースやビッグバンドの譜面を見て、そうした書き方も少しづつ覚えていきました。
‘55年に上京し、運のいいことに一ヶ月もたたないうちに、原信夫とシャープス&フラッツが出演している赤坂見附のナイトクラブ『ラテンクォーター』に、チェンジバンドのピアニストとして入ることができた。演奏の合間に来日ダンサーなどのショータイムがあって、そのダンス用の譜面を大あわてで書かされたり、シャープの譜面を頼まれたり。また当時は次々とテレビ局が開局し、フルバンド全盛の時代。とにかく仕事が舞い込み、短期間で鍛えられてあっという間にビッグバンドの譜面が書けるようになった。オーケストラの編曲をするノウハウなんて、今も続く『題名のない音楽会』の仕事で覚えたようなもの。僕自身もちょうど子供が生まれて生活を安定させたいと思っていた時期です。徹夜でピアノを弾くのは無理だけど、編曲だったらできるかなと(笑)。それでだんだんアレンジの仕事が中心になっていき、収入もホントに10倍になった」

数々の足跡を残したビッグバンドでの仕事


── 60年代はテレビのお仕事をされる一方、日本のビッグバンド史に残るすばらしい作品を書かれています。ニューポート・ジャズフェスティバルに出演したシャープス&フラッツの楽曲はアメリカで絶賛され、またキューバンボーイズに提供した『祭りの四季』は芸術祭奨励賞を受賞。こうした楽曲はどのようにして生まれたのでしょうか。

「そのころのスケジュールをみると、よく生きてたなァと思うくらい仕事をしていました。頼まれたから引き受けていただけで、自分から率先して書いた曲なんて一曲もないよ(笑)。原さん(シャープス&フラッツ)からは東洋的なアレンジを、と依頼された。ジャズフェスには日本から山本邦山(尺八)を連れて行くということで『箱根馬子唄』、そして『さくらさくら』などを編曲しました。これが向こうで評判になり、この成功によって日本的な音楽をビッグバンドで演奏したいという他の依頼が来るようになりました。中でもキューバン・ボーイズの見砂(直照:みさごただあき)さんは僕の仕事に大きな信頼を寄せてくれた。その頃のキューバン・ボーイズといえば毎月レコードを出し、しかも絶対に黒字になるという人気ぶり。見砂さんはもともと日本の音楽に興味があり、『祭りの四季』の構想はずっと彼の頭の中にあったようでした。最初から芸術祭参加を目的とした依頼でしたが、僕の方はまったくアイデアが浮かばず、書けないまま1年経ってしまった。これはとても無理だから勘弁してくださいと言うと「参考になる資料をもっと持ってくるから」と。しかし資料を受け取っても一向に書けない。さすがに3年目を迎えたときには、殺されないうちに(笑)なんとかしなきゃと必死で仕上げた。三年がかりで、ポピュラーバンドとして初の芸術祭奨励賞を受賞できたときには、ホっとしたねえ」

── ほかにも『A列車で行こう』『ドナ・リー』といったスタンダード曲や前衛的な『直立猿人』など、今なお演奏されています。また日本の4大ビッグバンドをステージに乗せ、4バンド同時に演奏を行うなど、壮大な編曲も手がけられました。

「『直立猿人』は当時ミンガスが人気があったのでやりたいという宮間(利之)さんのアイデア。ことあるごとにとりあげてくれたのでニューハードのテーマ曲みたいになった。僕からするとよくまあ演奏し続けてくれたという感謝の想いです。4大ビッグバンドのステージで僕が書いたのは『4つのオーケストラのためのアンサンブル』という曲で、コンサートのオープニングで演奏されました。森 寿男とブルーコーツ、原 信夫とシャープス&フラッツ、宮間利之とニューハード、高橋達也と東京ユニオンが配されたステージの位置関係を頭に置いて、どこの位置からどう音が出てくるのかを想像しながら各バンドの譜面を作りました。でもこういった仕事は特別に珍しかった訳でもなく、他のアレンジャーもやっていたんじゃないかな」

プレーヤーとして演奏活動を続ける


── 80年になるとご自身の『前田憲男ウインドブレーカーズ』を結成し、以後今日まで35年間続いています。6管+リズム隊という編成には、なにか意図があったのでしょうか。

「アレンジに手を染めたのは、ショーティ・ロジャーズ&ヒズ・ジャイアンツのサウンドがきっかけ。もともと10人くらいの中編成のアレンジから研究を進めていったので、こっちのほうが僕にとってはより本来的だった。バンド自体は「こんなことやりませんか」と持ちかけられて結成したのですが、お金を稼ぐことが目的ではないし、好きなことをやるというか、初心に返るというか。メンバーは途中で替わりましたが、たまたま自然に続いた、ということかな」

── ほかにもピアノトリオWe3(ウイスリー/猪俣猛drs、荒川康男b)、羽田健太郎さんが亡くなるまで続いたトリプルピアノ、またこの秋東京で開催されるジャズフェスティバル『江戸川ジャズナイト2015』では、加藤真一(b)さん、山田 玲(drs)という3世代もの年齢差のあるトリオでご出演なさるとのこと。編曲の仕事と平行し、プレイヤーとしてお変わりなく現役で活躍されていることは驚異的だと思うのですが……

「アレンジばっかりやっていると蓄積されたものが出て行くばかりで次の新しいことが入ってこないと感じることがある。実際、アレンジャーに転向して5〜6年経った頃、まったく書けなくなった時期がありました。これはまずい、と思ってライブを再開したことがWe3が誕生するきっかけになったんです。すると書けなかった病気が自然にだんだん治っていた」

── 演奏することが常になにか新しいアイデアをもたらす、と?

「そういうことでしょうねえ。アレンジの仕事は好むと好まざるにかかわらず、情報として常に世の中の音楽をなんでも頭に入れておくことが必要です。サザンもエグザイルも聴いていますよ。違う世代がどんな音楽を好むのか、漠然と知っていないと。だからといって興味のないことを書いてもしかたがないんですけどね。演奏するほうは好きなように弾けばいいから、そこは違うな」

── 毎年ヤマノ・ビッグ・バンド・ジャズ・コンテストの審査をされていますが、若い世代の演奏にどんな感想をお持ちでしょうか。

「リズムが悪いとか音がそろっていないとか、そういうバンドはそもそも出場していませんから技術の差はほとんどなくなった。みんなバッチリ、もう審査の限界を超えていると思えるほど。1位と5位の差は、コンマ数秒を争うオリンピックのようになってきているんじゃないでしょうか。若い世代に感じるのは、ビッグバンドの生の演奏を聴く機会が少ないのかな、ということ。我々の時代では都内なら毎晩どこかで演奏を聴けたし、テレビにしろラジオにしろ、特に意識しなくてもあのサウンドが自然に耳に入ってきた。そういう環境が身近にないのは気の毒かもしれませんね」

── 前田さんはジャズ以外の音楽においても数え切れないほどのお仕事をされてきましたが、ご自身にとってジャズとはどのような存在でしょうか。

「僕が初めて自分のお金でレコードを買ったのはベニー・グッドマンの『アレキサンダース・ラグタイムバンド』が入ったアルバム。それまで聴いていたクラシックやタンゴ、ハワイアン、カントリー、などとは全く「別のサウンド」としかいいようのない心地よさだった。それがいいと思ったからこそこの世界に入ってきた。だから自分のベースはジャズだといえるでしょう。ただ何をもってジャズというのかは人それぞれ。僕がいうジャズとはグッドマンであり、ジーン・クルーパーであり、オスカー・ピーターソンやジョージ・シアリングだった。チャーリー・パーカー以降をジャズだと思っている若い世代とは相当違うでしょう。でもそれでいいんじゃないかな。音楽に対する感じ方は一人ひとり違うのだから」