KOBEjazz.jp

ジャズを愛するすべての人へ。こだわりのジャズ情報をデンソーテンがお届けします。

ジャズピープル

ビッグバンドが原点であり、ライフワーク

自身のビッグバンド、そして「ハードバップ研究会」での活動も好評、その他関西のジャズシーンで八面六臂の活躍のトランペッター、横尾昌二郎さん。小学校から始まった音楽への道、ジャズへの出会い、そしてこれまでの活動について等様々なお話を伺いました。

アーティストインタビュー by 小島良太
(ジャズライター、ジャズフリーペーパーVOYAGE編集長)

person

横尾昌二郎

1984年生まれ兵庫県西宮市出身。中学1年生でトランペットを始める。西宮市立学文中学校ブラスバンド部、私立北陽高等学校ジャズバンド部でビッグバンドジャズを、関西大学ジャズ研究会でコンボスタイルでの演奏を経験。アロージャズオーケストラの佐藤修氏に師事。大学在学中より、大阪・谷町9丁目の『SUB』でベーシストの西山満氏からジャズを学ぶとともに、ライブ活動を始める。2009〜2014年の間、ベーシストの権上康志が率いるクインテット"ジンジャーブレッドボーイズ"で4枚のCDを発表、西は福岡、東は東京までツアーを展開し好評を博す。その間、今西佑介セクステット、浅井良将セプテット、東ともみグループなどのレコーディングにも参加。2013年より、自ら作編曲を手がけるジャズオーケストラを率い活動。2017年春、"Shojiro Yokoo & his Big Band"として初のリーダーアルバムをリリース。精力的に活動している。志水愛(pf)との双頭リーダーによるセクステット“ハードバップ研究会”での研究・演奏活動に力を入れている。他にも“今西佑介(tb)セクステット”、“コトリカルテット”、“trio nômade”、“Funky松田 & SOUL FEVER”、“A Hundred Birds Orchestra”など、ジャンルを問わずさまざまなバンドに参加している。ビッグバンドやコンボバンドへのアレンジの提供も手がける。2009年、第3回神戸ネクストジャズコンペティション審査員特別賞を受賞。関西ジャズ協会理事。

WEBTwitterBlog


interview

音楽との最初の出会いはクラシック!?


── 音楽との出会いはいつからですか?

「トランペットは中学1年生の部活で始めたのが最初なんですけど、それより以前に音楽に興味を持ったのは小学校5年生の時の音楽会でクラシックの曲を小学校の教育楽器にアレンジした物を演奏する機会でした。エルガーの「威風堂々」を市内の小学生有志が集まっての演奏会というのがあったんですよ。小学校6年生の時はドヴォルザークの「新世界」をやりました。」

── けっこう小学生らしからぬ渋い選曲ですね(笑)。

「そうなんです。音楽の先生が変わっていたみたいで(笑)。だから最初はクラシックのオーケストラに興味が出て、両親がクラシックのオムニバスCDを買ってくれたんです。それを何百回も聴いて。」

── ご両親も音楽がお好きだったのですか?

「父親が趣味で色々楽器に手を出して、だけど全部挫折していますね。家にフルートがありますが、今は触っていませんね(笑)。母親は特に音楽がすごく好きってわけでもなく普通に聴く程度でした。」

── トランペットを演奏するキッカケは?

「何か吹く楽器が良いな、それが格好良いなと思ったので何でも良かったです、最初は。西宮市立学文中学校がたまたまジャズバンド部で。そこが吹奏楽部だったら、僕の運命は大きく変わっていたかも。サックスは押すところ多いし、トロンボーンもよくわからない、トランペットは押さえるところが3つだけだし、これかな、と。それが大きな間違いでしたね(笑)。」

── ジャズで最初に聴いたのは?

「例に漏れず、グレン・ミラーやベニ―・グッドマン、それとJ-POPの吹奏楽アレンジから始まって。その時もスウィングジャズのオムニバスCDを父親が買ってくれて。そういうアルバムって、まさに良い所が集まったベスト盤ですから、それをまた何百回も聴いて。周りの部活の子はあんまり家帰ってジャズの音源を聴いていないみたいでしたが、僕はけっこうそういうCDを聴いていたので、先輩や周りの演奏を聴いて違和感があって。CDではこうなのに、なんでそういう演奏しているのかなぁと思う事がありました。そこからさらにコンボのジャズに興味を持って、アート・ブレイキーの「モーニン」を聴きました。トランペッターのリー・モーガンを最初に聴いた時、こんな高音を軽々聴いて、こんなんズルしてんじゃないかと(笑)。クリフォード・ブラウンも最初聴いた時はこれまたズルしてるんじゃないかと思いました。少ない小遣いから、コツコツCDを買いながら聴いていきました。」

── ジャズの目覚めは早い方ですよね!

「その部分は最初にCDを買い与えてくれた両親に感謝ですね。 あと中二の時にナベサダ(渡辺貞夫)さんと競演することがあったんですね。 震災復興のチャリティイベントだったかな。そこで“本物”を目の当たりにしました。 ナベサダさんが一音吹いただけで、すごいな、この人と!そのイベントのプロデューサーはベーシストの宮本直介さんでした。それから時が経って、直介さんにその時の事を話したら覚えてくれていました。男が僕くらいしかいなかったので覚えてくれていたのかな(笑)。高校でもジャズバンドがある北陽高校に進みました。同級生はジャズには真っ白な状態の子が多くて、経験者が僕とピアノの子ぐらいでした。そういう経緯もあって、北陽高校でのジャズバンド部でコンサートマスターになりました。バンドで色々CD交換したりして情報共有していましたね。あとは中高生がよくやる譜面中心にそれの完成度を高める事を頑張っていました。」

── 高校に入ってからジャズの嗜好は変わりましたか?

「ジャズの演奏技術、というより気合と根性が身につきましたね(笑)。マイルス(・デイビス)やホレス・シルヴァーもその頃から聴きだしたかな。やっぱりハードバップが好きなんですよ、原点です。「モーニン」を買った時点で運命付けられていたかな。 コピーもするようにもなりましたね。高校の授業で小テストがあって、一発合格すると18時に帰れて、部活に早く行けるので合格できるように頑張りました。だから成績もそのおかげで伸びました(笑)。」

── 当時ジャズ以外に聴いていた音楽は?

「J-POP全盛期だったので。もう全部がヒット曲でしたよね(笑)。ミスチルや宇多田ヒカルやジュディマリとか聴いていましたよ。ジュディマリは今でも好きですね。」

── 関西大学に進学してからは?

「ビッグバンドがなかったので、コンボを本格的に始めました。もしそこでビッグバンドがあったら、コンボ演奏の縁がなかったかも。またまた運命の分かれ道ですね。 見様見真似でやりながら、先輩に教えてもらったりして上達していきました。 それと共に学外のビッグバンドの活動も続けていました。そこで得たノウハウも学校に持ち帰ったりもしましたね~。」

── 大学時代でのライブ活動は?

「大学生のジャズライブイベント等の依頼演奏もありましたが、ドラマーの弦牧潔さんにジャズ喫茶「SUB」に連れられたのが大きな転機でしたね。お店のバンドでサックスをされていた西野さんという方に出会ったのも大きかったですね。西野さんが就職されてSUBのバンドを卒業されるので、その後に入ることになったんです。当時のオーナー西山満さんから、「俺んとこのバンドでやってな」とも言っていただいて。西山さん、弦牧さん、ピアノの奥村美里さん、サックスの武藤浩司さんというバンドでした。そこからズルズルとプロの世界へ(笑)。」

西山満さんの導きからプロへ、そしてジンジャーブレッドボーイズ

── 西山さんからの影響は関西のジャスシーンにおいて大きいですが、やっぱり横尾さんも相当影響を受けましたか?

「とにかく西山さんの「SOUL」がすごくて。西山さんと演奏できたのは本当に運が良かったし、貴重な機会でした。お店でオテロ・モリノーやクリフトン・アンダーソン、ボブ・クランショウともセッションできましたし。日野皓正さんのバンドにシットインして、地獄を見たこともあります(笑)。日野さんに公開説教されることもありましたが、その時にとても良いアドバイスをいただいて、今もそれは活きています。 西山さんから「ええやん!アンタ、ええラッパや!」と言われて、俺は求められている、と勘違いして。SUBに聴きにきてくれた両親にも西山さんが、彼はプロになるべきと言ってくれて。両親も応援してくれましたし。あかんかったら、あかんかったで、とにかく挑戦してみようと。」 「最初の1~2年は鳴かず飛ばずでしたが、先輩のライブにシットインして、徐々に顔を売っていくうちに、ベースの権上康志さん、ピアノの大友孝彰さんと活動するようになったのが「ジンジャーブレッドボーイズ」のルーツでした。ライブごとに自分たちのオリジナルやスタンダードのアレンジを持ち寄っていくうちにレパートリーが増えて、自然とアルバム製作に進みました。」

── ユニット、バンドを組むってジャズでは最近少ないので、画期的なバンドでしたよね。

「オリジナル曲を作る、演奏するというのと、現場でバンドの演奏を動かしていく、トランペッターって指揮官の役割もあるので。リーダーは権上さんですけど、ベーシストのポジションだとバンドの演奏をコントロールし切れない所があるので。後ろで合図を出されても、フロント楽器の人は見えないので。フロント楽器の私とアルトサックスの浅井(良将)さんとキュー出しするなど、そういう経験が今も活きていると思います。 ツアーをたくさんしたのも良い経験でしたね。バンドの役割分担もそこで大いに学びました。」

ビッグバンドが自分の原点

── 初めてのリーダー作はビッグバンドですよね。ちょっと意外でした。

「やっぱりビッグバンドが私の原点ですから。学校の音楽鑑賞会の仕事依頼でビッグバンドでというのがあって、そこから始まったんですけど、1年くらい寝かせて(笑)。ライブハウスで初めて演奏したのが2013年くらいかな。レパートリーも増えて、CDを出せる、そして形に残したいと思った時の形態がビッグバンドでした。全然儲からないけど、やろうと(笑)。ジンジャーブレッドボーイズの曲をビッグバンドでするっていうのも裏テーマとしてアルバムコンセプトにあります。あとせっかくビッグバンドでレコーディングやライブをするならアレンジに時間をかけて、他とは違うサウンド作りをしたかったという部分もありますね。僕が圧倒的なソロを吹けるのなら話は別ですが(笑)。」

── いやいやそんな(笑)。しかし本当に音楽に対して「マジメ」ですよね。

「ハードバップ研究会」での活躍、そして若いプレイヤーへの想い

── 副会長として参加されている「ハードバップ研究会」、飛ぶ鳥を落とす勢いですね。

「僕がしたかった事と世間の需要が一致しましたね(笑)。あるライブの休憩時間にピアノの志水愛さんとハードバップやろう!という話で盛り上がって、その場でメンバー(里村稔さん、今西佑介さん)に電話連絡、「ハードバップやりません!?」って。みんな二つ返事で承諾してくれました。現在で3年目に突入、3ヶ月に1回の研究発表会のために選曲会議を会長の志水さんと開催しています。ケーキを食べながらの和やかな会議ですが(笑)。」

── レパートリーもかなり溜まってきたので、レコーディングの話も出ているのでは!?

「基本的にレコーディングをするつもりはないんです。家で聴くなら、本家を聴く方がいいじゃないですか(笑)。僕らはライブで聴いてもらって、お客さんが「ハードバップええなぁ!」と思ってもらって、ハードバップを好きになってほしいんです。布教活動ですね(笑)。」

── 「ハードバップ研究会」は若いお客さんが多いのも良いですよね。

「幅広いお客さんの層が来てくれて嬉しいです。」

── 若いプレイヤーに伝えたい事はありますか?

若いプレイヤーには特に「生の音」を体感してほしいですね。一音に説得力を込める感覚、というのを知ってほしいなぁ。

── 最後に今後の展望を教えてください。

「やっぱり自分のビッグバンドは継続していきたいですね、自分のペースで自分の音楽を表現する事を保ちながら。僕がやりたい音楽をメンバーにただやらせる、というのだけでは面白くないから、メンバーの意見を取り入れるのはもちろんだし、メンバーそれぞれの個性を活かせるアレンジをできるように心がけています。原点であるビッグバンドをライフワークとしていきたいですね。」

information

[ Live Information ]

trio nômade
日時:1月26日(日)
谷山和恵 vo 横尾昌二郎 tp,flh 永田有吾 pf
会場:jazz on top ACT3
http://www.jazzontop.com/shop/act3.htm

今西佑介セクステット+木原鮎子(vo)
日時:2月6日(水)
会場:京都 祇園四条 Bonds Rosary
https://bondsrosary.com/

BRASSBROS vs BONEOLOGY
日時:2月22日(金)
出演:BRASSBROS 横尾昌二郎 小倉直也 trumpet
BONEOLOGY今西佑介 中山雄貴 trombone
会場:神戸元町 萬屋宗兵衛
http://www.soubei.co/



[ Release ]

YOKOO BB

メンバー
トランペット
横尾昌二郎
高田将利
山中詩織
長山動丸
岩本敦

トロンボーン
礒野展輝
吉岡明美
今西佑介
佐竹寛美

サックス
柏谷淳
武藤浩司
高橋知道
古山晶子
萬淳樹

リズムセクション
藪下ガク ギター
石田ヒロキ、杉山悟史(ゲスト参加) ピアノ
光岡尚紀 ベース
齋藤洋平 ドラムス

収録曲
1. He’s Still A Boy
2. Wake up and Run
3. Jungle Boat
4. I Was Here Before
5. Pray for Rain
6. 波乱の人生を送った末に不幸な事件に巻き込まれて死んでしまった少女の物語
7. The Sniper
8. Body and Soul

amazon