ドルフィーが発見した美は、それまでは美とは思われていなかった。ドルフィーははじめてパンドラの箱をあけた愚者である。それによって、禁断の、忌まわしい、禍々しい、そして凄まじくも力強い美が世の中にあふれ出た。その意味で、ドルフィーはクトゥルー神話に登場する主人公たちのようでもある。クトゥルー神話をご存じないかたに説明すると、クトゥルーとはアメリカのホラー作家ラヴクラフトが創造した忌まわしい異界の神々である。太古の地球に飛来し、南極の氷の下や大西洋の海底に封じ込められているが、ときどき出現しては人間たちを恐怖のどん底に叩き込む。クトゥルーの外観は、タコの身体にコウモリの羽根を生やしたようなグロテスクでおぞましいもので、人間との意思疎通はまったく不可能で、人類にはとうてい理解できない思考経路の持ち主だが、その強大な力に魅了された一部の人間が、禁断の呪法を使ってクトゥルーを目覚めさせ自分の欲望のために利用しようとして、結局は滅ぼされていく。そういった顛末を描く一連の作品群がクトゥルー神話だが、ドルフィーは、触れたら破滅するのはわかっているのにもかかわずクトゥルーにどうしようもなく惹かれてしまう人間のように、音楽に秘められたおぞましく、忌まわしく、そして強大な力に魅せられて、それを目覚めさせる呪法を使ってしまったのではないか……。我々のように、ドルフィーの音楽を聴いて、うわあ、めちゃめちゃかっこええなあ! と叫ぶ人間は、いつの時代もあとをたたないだろう。クトゥルーの眠りを覚まそうとする愚か者があとをたたないように……。
さて、ドルフィーのことを、時代の一歩も二歩も先を進んでいた演奏者と評価するひとがいる。しかし、それはほんとうだろうか。次回、ドルフィー紹介の最終回では、そのあたりを中心に書いてみようと思っている。