ビッグバンド漫談
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田中啓文のビッグバンド漫談
ペーター・ブロッツマン

ここでちょっと真面目な話になるが、以下はフリージャズ創世時についての私なりの解釈である。六十年代、オーネット・コールマンによってはじめられたと言われている「フリージャズ」なるものは、アメリカでは当時の黒人意識高揚のムーブメントと歩調を合わせて発展していったわけだが、つまり、音楽に人種問題や政治的な意識が持ち込まれ、演奏する側も聴く側もそういった思想的背景のもとにあった。それがヨーロッパに飛び火したとき、ヨーロッパのミュージシャンはそういった背景とは切れたところで純粋に「音楽」としてのフリージャズをはじめることができた。その結果、アメリカでは、人間としての自由を音楽におけるに自由と重ね合わせながら、従来のジャズがじわじわと新しいスタイルに変貌していこうともがいていたが、ヨーロッパではいきなり、 「フリーにやるってことは……なるほど、つまりむちゃくちゃにやればいいんだよね。約束事なんてとっぱらえ、なんでもかんでもぶっ壊せ、でっかい音でぎゃあああああっ、びゅるるるるっと吹けばいいわけだ。どうせやるなら徹底的に!

こういう考え方に、一瞬にして切り替えることができたのである。ジャズの本家アメリカでは、ビバップやハードバップをひきずったまま、ずるずるとギアチェンジしていったのに対し、ヨーロッパのミュージシャンたちはいきなりトップギアに入れることができた。そう、これは日本でもそうだったわけで、山下トリオがもの凄いスピードで世界の頂点に立ったのも同じ理由だったろう。それが良い悪いは別として、こうしてこれまで一部の例外をのぞいてアメリカのジャズマンの模倣だったヨーロッパのミュージシャンが、ジャズ界をリードする状況というものができあがったのである。そういった先鋭的なヨーロッパのミュージシャンを集結させたのが、ブロッツマンの有名な、その名も「マシンガン」というアルバムで、ドイツのブロッツマンのほか、イギリスのエヴァン・パーカー、オランダのウィリアム・ブロイカーという、当時の精鋭サキソホン奏者を集め、聴いた印象は、「ギャーッ、グワーッ、ゴワーッ、ガオーッ、ウギャーッ、ドハーッ!」というものである。やかましいにもほどがある。ブロッツマンは「やかましいサックス奏者」を集めた大編成グループが好きらしく、このあとも、チャールズ・ゲイル、デヴィッド・S・ウェア、フランク・ライト、ジャミール・ムーンドック……らを擁したグループや、現在も続くケン・ヴァンダーマーク、マツ・グスタフソン、ジョー・マクフィー、マーズ・ウィリアムズ……らを擁したシカゴ・テンテットなどを組織し、先頭に立って、一番でかい音で吹きまくっている。

彼は、トリオを基本に、ソロやデュオ、小編成から大編成まで、アコースティックなものからエレクトリックを導入したものまで、さまざまなセッティングで、膨大なライヴを行い、膨大なアルバムを吹き込んできたが、彼のやっていることはどんな場合もまったく同じだ。さっきも書いたとおり、「いきなりギャーッと馬鹿でかい音で吠え、そのあと吠えて、吠えて、吠えまくり、途中で音が裏返ったら、そのままフラジオに突入し、ピーピーいわせて終わり」……これなのである。ブロッツマンが六十八歳になる今日まで、現役で毎日のようにギグをこなしているのは、おそらくは彼がつねに若い共演者たちから新鮮なパワーをもらい、それを自分のなかで増幅して吐き出しているからであろう(たとえ、彼自身の演奏はいつも一緒だとしても)。そのための、「新しい共演者」を見つけ出す努力を彼は常に怠らない。単身シカゴに乗り込んで、若い世代を集めたシカゴ・テンテットがその代表的な成果である。

フリージャズのすばらしさ、おもしろさ、明るさ、わかりやすさを我々に教えつづけているペーター・ブロッツマン。幼児性のあるその演奏は単純といえば単純だが、単純だからこそ純粋であり、純粋だからこそ説得力があるのだ。これからもずっと、ひたむきにむちゃくちゃに過激にブロウしてもらいたいものだ。

著者Profile
田中啓文
1962年、大阪府生まれ。作家。
神戸大学卒業。1993年、ジャズミステリ短編「落下する緑」が「鮎川哲也の本格推理」に入選。
同年「背徳のレクイエム」で第2回ファンタジーロマン大賞に入賞しデビュー。2002年「銀河帝国の弘法も筆の誤り」で第33回星雲賞日本短編部門を受賞。主な作品に「蹴りたい田中」「笑酔亭梅寿謎解噺」「天岩屋戸の研究」「忘却の船に流れは光」「水霊 ミズチ」(2006年映画化)などがある。
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