そういうものを目のまえで、生で見せられると、最初は「おお、すげー」とか「かっこいい」とか思っているが、そのうちにインプットがこちらの許容量を超えて、ついには言葉もなくなり、ゲラゲラ笑いだしてしまうことになる。人間、本当に凄いものを見たり聴いたりしたときは、笑うしかないのである。私はエルヴィンのライヴを何度も体験したが、そのたびに笑って笑って笑いまくった。正直なところ、エルヴィンに関しては、いくらレコードを聴いても、映像を観ても、あの「生エルヴィン」を見てもらわないと、たぶん伝わらない部分があると思う。それは生コルトレーン、生ドルフィー、生パーカーを見たことがない私が、いくら彼らのアルバムを聴きまくっても、たぶんその全体像の半分ぐらいしかわかっていないであろうことと同様で、ジャズが生き物である以上それは当然のことである。そのミュージシャンの真価を百%味わえるのは、同時代に生き、ライヴに足を運んだ人間の特権なのである。
話がそれたが、こういった「とんでもなくもの凄い化け物的なエルヴィン・ジョーンズのドラム」なるものが、なぜかレコード上ではなかなか聴くことができないのが不思議なのである。そんなことないよ、コルトレーン・カルテットを聴けばよい、という意見もあるだろうが、それはそのとおりである。しかし、それ以外の作品(エルヴィンのリーダー作も含む)においては、どういうわけかエルヴィンは非常にふつうの演奏をすることが多いように思う。トップシンバルをチーチキ、チーチキとレガートし、ときどきおかずを入れ……それだけ、という場合もある。非常にうまい演奏ではあるが、ライヴで見せるあの「化け物」的なイメージとはあまりに差があるのだ。多くのミュージシャンが、エルヴィンとの共演を望み、ゲスト扱いで彼とのアルバムを作っているが、それらの多くには「あの」エルヴィンはとらえられていない。世間では「傑作」と呼ばれているようなアルバムでも、エルヴィンに関しては、物足りないことがある。これがほかのドラマーなら、おそらく聴いていてなんら不満には思わないのだろうが、なにしろエルヴィンなのだ。アレを聴きたいじゃないですか、アレを。エルヴィンは相手によっては手を抜いているのか? いやいやそうではあるまい。これは推測だが、エルヴィンが「全開」になるとき……それは、コルトレーンに匹敵するぐらいの強力な共演者による触発を受けたときなのだろう。
私の目の奥には、ありし日のエルヴィンの鬼神のごときドラミングが焼きついている。これと同じ感動を味わわせてくれるアルバムには、残念ながらいまだ出会っていないのである。