さて、忘れもしない1996年○月○日(忘れとるやないか!)、ビッグ・Jはついに来日した。のだ。私は、興奮をけんめいに抑えつつ、難波のウォーホールに向かったのである。バックバンドはローラー・コースター+テナーサックスの藤井康一という日本勢。アナウンスに続いてどこからともなくテナーの音が……そう、ビッグ・Jの登場である。ロビーのフロアから、テナーを吹きながら階段をゆっくりと下りてくる。とにかくでかい。音も、そして体格も。縦も横も同じ寸法かと思えるほどの巨体である。やっと一階まで降りてきたが、観客一人ひとりに語りかけるようにあちこちで立ち止まりながらテナーを吹きまくる。かわいいお姉ちゃんを見つけるとにじり寄り、くどくように吹く。ブリッジをしながらの演奏こそなかったが(腰や膝が悪くてサポーターをしているらしい。そりゃ、あれだけ太ればねえ……)、片手をついてうずくまって吹いたり、女性の膝に座って吹いたり……。いやはやほんとにすごい音で、「ボゲーッ」という低音から、「バゴバゴバゴバゴッ」という中音域、「ギャオエオエーッ」という高音、そして「ピーギョーエアエーッ!」というフリークトーンまで、レコードで聴いて想像していたよりもずっとでかい、野太い、マジで凄まじい音なのだ。いわゆるワイアレスのピンマイクではなく、テナーのベル(朝顔部)にアタッチメントを付けてそこに普通のワイアレスマイクを取り付けている。そして、ベルの横側にはもう一本のワイアレスマイクが……。これがなんとボーカル専用マイクなのだった。
ビッグ・Jは当時七十歳ぐらいだったはずだが ライブは3時間はあった。しかし、それが長く感じられないほどコンサートの密度は高く、ビッグ・Jは、ものすごい集中力で吹いて吹いて吹きまくり、歌いまくり、踊りまくり、しゃべりまくった。一旦、舞台袖に引っ込んだビッグ・Jが、なぜか手袋をして再び登場すると、ステージと客席のライトが消された。すると、テナーサックスと二つの手袋(ミッキーマウスの手みたいに見える)だけが闇の中に浮かびあがったのだ。ビッグ・Jはそのままステージに寝転がってブローしまくり、観客はアゼンボーゼン。聞けば、たった1曲のために、螢光塗料を塗ったサックスとブラックライト(白いものがボーッと浮かび上がる特殊なライト)を持ってきているらしい。なんという芸人魂! アンコールがまた長く、延々何曲もやる。選曲的にも、かつてのヒットナンバーをやるだけではなく、最近の音楽を取り入れた新曲がほとんどで、ヒップホップやどファンクみたいなものも楽々とやってしまうその若さ! 例えば自身の大ヒット曲「ディーコンズ・ホップ」も、「ディーコンズ・ヒップ・ホップ」として現代流にアレンジしてしまうし、「ハーレム・ノクターン」もファンク調のアレンジでサム・テイラーも裸足で逃げ出すような絶叫また絶叫。こういう「新しいもの」へのあくなき探究心が、良いか悪いかは別として、彼の音楽をみずみずしいフレッシュな感性に満ちたものにしているわけで、しかも、そのルーツはしっかりブルースに根ざしているのだ。
まさしく化け物だったビッグ・J・マクニーリー。際物でも一発屋でもない、重戦車のようにストレートアヘッドなテナー奏者である。