ビッグバンド漫談
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田中啓文のビッグバンド漫談
アーネット・コブ

ところがどっこい! コブははなばなしく復帰を遂げたのである。78年の6月、ニューヨークで吹き込まれたアルバムこそ、偉大なアーネット・コブの劇的な復活をジャズ界に知らしめる「アーネット・コブ・イズ・バック」なのである。とにかくこのレコード(できればCDよりレコードのほうが迫力あり)のジャケットを見てほしい。ガマ親分のような風貌の黒人のジジイが、松葉杖をついて、テナーを首から下げている。でっかい手にはでっかい指輪。このジャケットを見るだけでも、音が聞こえてくるような錯覚に陥る。そして、一曲目の「フライング・ホーム」にコブの魅力が全部集約されている。バウンスするイントロに乗せて引用フレーズを吹きまくる冒頭部でぐいっと胸ぐらをつかまれ、軽快なテーマに入るとバンドはにわかにスウィングしはじめる。イリノイ・ジャケーの有名なソロ(昔のジャズマンは自分のやったソロを覚えていて、リクエストされると何度もそれを吹いた。ジャケーのソロは「フライング・ホーム」といえばこのソロなので、ほかのミュージシャンもこの曲を演奏するときはジャケーのソロを一種の引用フレーズ的になぞって吹くのが当たり前なのである)を吹ききったあと、気合いをこめたブロウに移る。そして、ラストのブレイクは、聴いていてスピーカーのまえで思わずのけぞるほどの迫力。このアルバム、熱心なコブファンからは、コブにしては軽すぎるとか普通のジャズファンに迎合しすぎている、といって批判されがちだが、私は大好きです。モダンなリズムをバックにしてここまでコブ色に染め上げた手腕をもっと評価すべきだし、たしかにかつての荒々しいブロウで全編押し切るといったごり押しはないが、そのかわり、長い年輪によってつちかわれた深いソウルがあるし、もちろん豪快なブロウも健在だし……とにかくコブの良いところは全部入っている。コブ入門にはぴったりだし、長年聴き続けられる真の名盤だと思うよ。

直後の7月にコブはライオネル・ハンプトンがニューポート・ジャズ・フェスティバルで結成したオールスタービッグバンドに参加して「フライング・ホーム」をブロウし、満場の大観衆を沸かせ、大喝采を受けたのである。オランダのノースシー・ジャズ・フェスティバルにも参加したこのハンプトン楽団を観たスウィング・ジャーナルの記者は、次のように書いている。「脚の不自由なコブは立ち上がって吹けないが、渾身の力をこめてエモーショナルに吹くコブの男性的なアドリブ、その独特なトーン、ユニークなフレージング、どの点からみてもコブはテナーの猛者(もさ)である」。ええこと言うやん、この人。

ただし、アメリカでは引退のように思われていた期間も、ヨーロッパではいろいろ吹き込んでおり、なかには相当凄いアルバムもある。とくにブラック・アンド・ブルーの「ジャンピン・アット・ザ・ウッドサイド」というのはめちゃめちゃ凄い。引退というのはあくまでアメリカの中央ジャズシーンの話である。

コブの演奏をビデオなどで見ると、自分がソロをしていないときも、ずっとしゃべっている。なにを言ってるのかわからないが、なにか指示を出しているようでもあり、近所のしゃべりのおっさんが飲み屋で誰も聞いていないのにぐずぐずといつまでもぶつくさ言ってるようでもあるが、とにかくかなりユニークな人のようだ。

最後になるが、私は、生涯のベストコンサートの一つとして、大阪で観たバディ・テイトとコブによる生演奏を挙げたいと思う。あれはむちゃくちゃ凄かったが、どう凄かったかは私の筆にあまる。コブの生を観られた、あの息吹きに接することができた、というのは、本当に私にとっての財産である。偉大な「テキサスから来た世界一ワイルドなテナーマン」アーネット・コブよ、永遠なれ。私は一生あなたのレコードを聴き続けますよ。

著者Profile
田中啓文
1962年、大阪府生まれ。作家。
神戸大学卒業。1993年、ジャズミステリ短編「落下する緑」が「鮎川哲也の本格推理」に入選。
同年「背徳のレクイエム」で第2回ファンタジーロマン大賞に入賞しデビュー。2002年「銀河帝国の弘法も筆の誤り」で第33回星雲賞日本短編部門を受賞。主な作品に「蹴りたい田中」「笑酔亭梅寿謎解噺」「天岩屋戸の研究」「忘却の船に流れは光」「水霊 ミズチ」(2006年映画化)などがある。
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