ビッグバンド漫談
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田中啓文のビッグバンド漫談
アーネット・コブ

アーネット・コブはテナーの怪物である。演奏だけでなく、容姿もまさにモンスターである。ジャズミュージシャンのなかには、ステージに登場するだけでその場の空気を一変させてしまうほどの圧倒的存在感を持つ一群の人たちがいるが、アーネット・コブはその極であろう。松葉杖をついたガマ蛙のような親父が、のっしのっしと現れ、一度聞いたら忘れられないような強烈な音でテナーを唸らせ、吹いて吹いて吹きまくり、なみいる聴衆を興奮のるつぼにたたき込むのだ。これを、怪物といわずして何というのか。コブのジャズは、ジャズについてよく使われる形容である「小粋にスウィング」とか「洒落た大人の味わい」とか「肩の力を抜いて軽妙に」とかいった言葉がまったく似合わない、荒々しい獣(けだもの)の音楽である。私はひそかに「ジャズ界のガマ親分」と呼んでいたのだが、今にして思うと、むしろ「ジャズ界の六代目笑福亭松鶴」と呼ぶべきではなかったか、と考えるのである。なに? どっちの形容もわからん? そうかなあ……。
「アーネット・コブ・イズ・バック」というレコードがある。その1曲目「フライング・ホーム」こそが筆者をしてブローテナーの泥沼に踏み込ませた原因となった曲なのである。それまでコルトレーン、ファラオ、アイラー、シェップなどを聞いていた純真無垢なニュージャズ青年は、松葉杖をついた老テナーマンの咆哮に、ファラオやシェップを上回る「叫び」を感じとり、そのままアーネット・コブのミーハー的なファンになってしまったのである。以来、会う人ごとに「わしが尊敬するテナーマンはアーネット・コブや」と言いまくり、コンサートチケットの端券の「今後来日してほしいミュージシャン」欄には必ず「アーネット・コブ」と書き、コブの入っているレコードならどんなしょうもないものも買い、部屋にコブの写真を貼り、テレビで林家こぶ平という名前を聞いてはドキッとし、街を歩いていて塩昆布の看板を目にしてはギクッとするという、まことにイビツな人間になってしまった。最近こそ、ホンカーやブローテナー、オルガンジャズなどの人気も高まり、そういった演奏をする若い人も多いが、一昔前はそういう「クサいジャズ」は正統派ジャズファンからはフリージャズ同様、非常に嫌われていた。そんな風潮のなかで、私は細々とコブのレコードを集め、家で聴きまくり、ひとにも聴かせまくっていたのだが、なかなか、
「うん、これは凄いね」

と同調してくれるひとはいなかった。いやー、世の中変わりましたなー。今や、CMでも喫茶店や商店街の有線でもカラオケでも、コブの演奏のかからぬ日はないほどだ……ということもないが、まあ、アルバムを入手しやすくなったのはたしかで、めでたいことである。え? あなた、アーネット・コブを聴いたことがない? いけませんなー。

とにかく、イリノイ・ジャケー、バディ・テイトらと並ぶ「テキサス・テナー」の代表格こそアーネット・コブその人なのである。コブの演奏の特徴を挙げると、
・強烈なグロウル(声を出しながら吹いて音色を濁らせる奏法)
・凄まじいフリークトーン(若い頃の演奏)
・一聴して「コブだ」とわかる、個性の塊のような音色
・バラードで多用する、ずずずずず……と唾液の音が聞こえるほど嫌らしいサブトーン
・「間」をいかした、独特のリズム感
・テーマ部分に顕著な、強烈な後ノリ(「アーネット・コブ・イズ・バック」の「A列車」のテーマを聴いてのけぞれ!)
・歌心溢れるフレーズのあいだに突如挿入される、異常なまでに跳躍が多く、一度聴いたら忘れられない「決め」フレーズの数々
・引用フレーズやブレイクでのフレーズなど、黒人的なユーモア感覚
・なによりも、アニマル浜口百人分ぐらいある、メガトン級の「気合い」

著者Profile
田中啓文
1962年、大阪府生まれ。作家。
神戸大学卒業。1993年、ジャズミステリ短編「落下する緑」が「鮎川哲也の本格推理」に入選。
同年「背徳のレクイエム」で第2回ファンタジーロマン大賞に入賞しデビュー。2002年「銀河帝国の弘法も筆の誤り」で第33回星雲賞日本短編部門を受賞。主な作品に「蹴りたい田中」「笑酔亭梅寿謎解噺」「天岩屋戸の研究」「忘却の船に流れは光」「水霊 ミズチ」(2006年映画化)などがある。
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