ビッグバンド漫談
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田中啓文のビッグバンド漫談
ラサーン・ローランド・カーク

さて、彼の主奏楽器はテナーサックスであるが、カークの演奏時の写真を見た人なら、首を傾げるにちがいない。一度にくわえている三本のサックスのうち、一本はたしかにテナーサックスなのだが、あとの二本は、アルトでもソプラノでもバリトンでもなく、一本は、本来は途中で上向きにカーブしているアルトサックスをまっすぐに伸ばして先端をぐしゃっとへしゃげさせたようなもので、もう一本は、ソプラノサックスみたいな楽器の、これまた先端部分を押しつぶしたような変な楽器である。これは、マンツェロとストリッチといって、一般には使われることはありえない、一種の民族楽器である。カークはこういう変な楽器をどこからか見つけてきて、使っているのだ。どうしてカークが三本のサックスを一度に吹くようになったかは諸説あるが、本人は「夢で見たのだ」と言っている。

カークの凄いところは、まだまだある。循環呼吸(サーキュラー・ブリージング)というのをご存じだろうか。管楽器というのは、途中で息継ぎをしなくては吹けない。これは当たり前である。ところが、循環呼吸という、息継ぎを全くしないで、途切れずに演奏する方法があるのである。たとえば、デューク・エリントン楽団のバリトンサックス奏者ハリー・カーネイが「ソフィスティケイテッド・レディ」というバラードの最後の音を長く長く延々と吹き伸ばして、その間にエリントンが何度もカーネイの名前を紹介するといったパフォーマンスがある。普通ならとっくに息が切れているはずなのに音が途切れないところから観客は喜ぶわけだが、これは循環呼吸という奏法を用いているのである。しかし、あるサックス奏者がカーネイにこの奏法を習いにいったところ、彼は「俺なんかよりももっとすごいやつがいる」といって、まだ無名時代のカークの名前をあげ、そいつに教えてもらえといったそうである。ローランド・カークは循環呼吸の達人である。何しろ、一曲まるまるを息継ぎなしで演奏したりする。しかも、それはカーネイがやるような「一つの音を延々と」ではなく、アドリブでも何でも自在なのである。三本くわえたときも、フルートでも、クラリネットでも、リコーダーでも、とにかくのべつまくなしに循環呼吸を行っている。何しろ、本来はブレスが入るべきところで音が途切れないものだから、聞いているとだんだん息苦しくなってくるほどである。記者に「どうやったらあんなに息継ぎせずに吹けるのですか」と問われたとき、カーク本人は「耳で息を吸い込むのさ」と答えている(本気にしていた人もいた)。(以下次号)

著者Profile
田中啓文
1962年、大阪府生まれ。作家。
神戸大学卒業。1993年、ジャズミステリ短編「落下する緑」が「鮎川哲也の本格推理」に入選。
同年「背徳のレクイエム」で第2回ファンタジーロマン大賞に入賞しデビュー。2002年「銀河帝国の弘法も筆の誤り」で第33回星雲賞日本短編部門を受賞。主な作品に「蹴りたい田中」「笑酔亭梅寿謎解噺」「天岩屋戸の研究」「忘却の船に流れは光」「水霊 ミズチ」(2006年映画化)などがある。
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