ビッグバンド漫談
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田中啓文のビッグバンド漫談
社会人バンドマンの個人練習法

というような会話がなされたからだ。しかし、早朝、目ざましが鳴っても、身体が動かない。たまの休みぐらいゆっくり寝ようよ、明日っからまた早起きしなきゃならないんだし……という悪魔のささやきに負け、時計をとめて二度寝する。昼頃おきて、一時ぐらいから出かけようかな……などと思いつつ、テレビのお笑い番組を見ながらビール、あ、ビール飲んじゃった、ま、いいか、もう一本……というわけで、気がついたら居間で寝ており、まわりには空き缶が転がっている。時計を見ると、午後四時半。もう河原に行くには遅いよなあ、今日のところはあきらめるか。

しかし、ほかのみんなが忙しいなかを練習しているはずなのに、なーんにもしない、では罪悪感がつきまとう。楽器ケースをあけ、小さな音で吹いてみる。ふーん、まあまあ鳴るなあ。一分ほどロングトーンとスケール練習をする。そのあと、お気に入りのフレーズを吹いてみる。あれ、指がひっかかって吹けない。それをしばらく練習。ああ、なんとか吹ける。俺もまだまだいける。五分もすると、ビールを飲んでいることもあって、唇がバテてくる。なんとなく罪悪感もおさまるので、それで練習おわり。あとは、心置きなく餃子でビール……。

このような休日を過ごしている社会人バンドマンが多いのではないだろうか。あるいは、
「休日は朝からずっと家族サービスだよ。個人練習? それどころじゃねえよっ」

というひともいるだろう。社会人バンドマンにとって、個人練習の時間を確保することはかくのごとく困難なのである。では、どうすればいいのか。何人かにたずねてみた。
「個人練習? 簡単、簡単。俺は朝四時に起きて、やってるよ。早起きは三文の得ってね」

近所迷惑です。もうひとりきいてみよう。
「個人練習はしません。学生のころの蓄積を使って、練習せずにどれだけ音楽できるか、が、社会人バンドの醍醐味でしょう」

あかんやろ、それでは。最後にもうひとり。
「こないだ、久しぶりに個人練習しようと思って楽器ケースあけたらな、黴生えとったんや。それで、やめた」

あかんなあ、あんたら。最低やで。私? 私はそんなことはありません。とりあえず、今日、久しぶりにバンド練習なので今から行ってまいります。あれ? 楽器がない。おかしいな、たしかこのへんに……そうか、前回のコンサートが終わったあと、友だちの家で飲んで、そのとき置いてかえって……あのままや! あれってたしか……去年の今頃やったかなあ……。

(編集部注)
※ロングトーン
トランペット、サックスのような管楽器演奏者が、通常演奏前に行う基礎練習。
呼んで字のごとく同じ音を長く延ばす動作を指しますが、呼吸法の習得、耐久力、音程、音色を整えるために欠かせない練習です。
※スケール練習
ドレミファソラシドなどの音階を正確に演奏するための練習。
例:Cメジャー・スケール・・・ハ長調音階 ドレミファソラシド、マイナースケール(単調音階)など12ある全てのKeyをこなす。
※パターン・フォー・ジャズ
ジャズに欠かせない即興演奏をする為の、特有の和音・音階などが記載されているバイブル的教則本。
著者Profile
田中啓文
1962年、大阪府生まれ。作家。
神戸大学卒業。1993年、ジャズミステリ短編「落下する緑」が「鮎川哲也の本格推理」に入選。
同年「背徳のレクイエム」で第2回ファンタジーロマン大賞に入賞しデビュー。2002年「銀河帝国の弘法も筆の誤り」で第33回星雲賞日本短編部門を受賞。主な作品に「蹴りたい田中」「笑酔亭梅寿謎解噺」「天岩屋戸の研究」「忘却の船に流れは光」「水霊 ミズチ」(2006年映画化)などがある。
http://www004.upp.
so-net.ne.jp/fuetako/
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